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5.三代 高見権之助

系 図(原文) 系 図(写真)

 三代 高見権之助 後権佐                              

 養子か実子かはわからない。

 妻 義落院 寛文12年(1672年)4月16日没 高麗門妙立寺葬

   どこの家より来られたかは不明。

  嫡男 高見三右衛門重故(跡継)

はじめ高見権右衛門(二代重政)が生存していた間は、(光千代・後の細川忠利の)児小姓として召し出され江戸にあって仕え相勤めた。

明歴2年( 1656年)11月権右衛門跡目のため知行を拝領なされる。

寛文元年(1661年)8月使番を仰せつけられ、江戸に度々相勤める。
延宝元年(1673年)8月八代番頭を仰せつけらた。加増178石6斗拝領なされ都合千石になる。       

 

注釈:(延宝元年は9月21日以降で、正しくは寛文13年となるところ。知行宛行状の日付は寛文13年4月6日となっている)

八代へは17年相勤め、元禄2年(1689年)病気になったため、役職辞退を願い出たところこれが通り、直ちに隠居される。

 

宝暦(宝永の誤り)3年(1706年)7月10日病死
法名 円常院 高麗門妙立寺葬

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はじめに

2 高見家関連年表
3 本国及び初代和田勝五郎重治(後高見権右衛門重治) 4
5 三代高見権之助 6 四代高見三右衛門
7 五代高見権右衛門政武 8 六代高見権右衛門
9 七代高見権之助政朱 10 八代高見右源太政信
11 九代高見數衛政久(後権右衛門武久) 12
13 十一代高見熊之助(後嶋之助) 14