聖坂功運寺

三田聖坂−功運寺

聖坂は、台地上を行く道で、海岸の低地帯を行く東海道に平行しています。中世の東海道といわれています。

坂の名は、高野聖が開いたとも、聖商人の宿があったからともいわれます。

安政6年(1859)、フランス公使館が置かれた済海寺の向こう側(東)には、高輪の海と房総の山々が見えます。

済海寺の右側雲の中が、土岐家(上野沼田)下屋敷で、屋敷内には古墳の亀塚があります。

坂の手前は曹洞宗の功運寺で、当時は修行の寮もある大きな寺のようですが、現在では中野区に移転しています。

聖坂(ひじりざか)は東京都港区三田四丁目にある坂。月の岬の上を南北に走る。田町側から上ると内陸側に、三田中学校、クウェート大使館、 阿含宗関東別院が存在し、同方角から潮見坂、幽霊坂から注ぎ込む形で交差し、海側に済海寺、亀塚公園、御田八幡神社が存在する。そのまま進むと伊皿子坂と魚籃坂からなる道路と交差して二本榎通りと名称を変える。

名称の由来

高野聖が開いた古代中世の通行路で、その宿所も同所に存在したためこの名称が付けられたとされる。「竹芝の坂」もしくは「竹芝坂」とも呼ばれた。

歴史

本道は古奥州街道にあたり、江戸が開府して東海道が開かれるまで、東国と西国を結ぶ主要道路であった。江戸時代まで坂は斜面ではなく緩やかな階段状を成していた。この階段の存在は『江戸名所図会』によっても確認することが可能である。

 

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