黄梅山東禅寺

熊本県上益城郡御船町辺田見にある。正平25年(1320)臨済宗の寺として建立し、その後永禄7年(1564)甲斐宗運が熊本大慈禅寺の洞春禅師を招き再興した甲斐氏の菩提寺。

寺内の一角に祖厚禅師が無何有庵を建立し、数々の門下生を生んだが、この功績に対して無何有庵跡の碑を建立した。

この碑を建立するために6名の門下生による資金集めを行った。目標は300円であったが、以下は趣意書の内容である。

              無何有庵跡之碑建設趣意書

無何有庵は高見祖厚氏(本名まもる氏、林泉又廣川と号し後祖厚と号す)の世塵を避くる為め、東禅寺裏の山中に結ばれたる庵なり。

先生明治十五年宮内省を辞して辺田見村に閑居し、子弟の教養に尽くされしが、同二十二年此の庵を結び、読経、詩歌、書画に耽けらるるの余暇、尚教養に力を注ぎ、専ら仁義道徳を稱導せられしを以て、近郷徳に向かひ風儀大いに改善せられ、先生に負ふ所大なるを信じ尚将来に望を存せり。然るに突如旧藩主細川護久侯の訃音に接し、単身直ちに上京し旧主の菩提寺に庵居し、帰庵せられざりしを以て、庵は廃棄せられ、其の痕跡のみ残れり。

 先生在京中門人間にて、庵跡に標記すべきものを建設すべく協議し、既に先生の諾意を得て計画せしも、門人四散し、為に不行届になり居たり。實に千秋の遺恨事なり。今や先生逝かれ、門下生並に親交の人々又漸次減少しつつあり。この儘にて移れば遂に不成立にて了らんとす。嗚呼我等門下生として、先生の恩顧を受けたるもの、如何でか先生の意を空しくするに忍びんや。依って門下生並親交の諸君の協力により、応分の資材を醵出して、碑を庵跡に建設し以て先生の意を慰め、且つは偉人の昔話を思出の記念にし、亦漸次衰えつつある先輩崇敬の精神を養成せんとす。希くは宜しくご賛同応分の御寄付あらんことを。

 一、ご送金は十月二十日迄発起人宛御送付のこと。

           昭和四年九月九日 発起人

             上益城郡御船町 佐久間四門  緒方 津直 杉田 喜助                           酒井 政喜  笠田 伊介  中島亀五郎

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