庭園 - 通称「楓の庭」と呼ばれる簡素ながら趣のある庭で、一面の苔地の中に一基の灯籠が据えられている。
鳳来(茶室)- 裏千家・円能斎好みの茶室で、前庭に置かれている蹲踞(つくばい)は朝鮮出兵の際に加藤清正が持ち帰り、忠興に贈られたものと伝わる。
書院 - 意北軒(いほくけん)と呼ばれ、千利休の邸宅を移築したといわれる。
松向軒(しょうこうけん)- 書院の西北にある、利休の茶を忠実に継承したといわれる三斎好みの茶室で、豊臣秀吉が催した北野大茶会の際に三斎がつくった茶室を寛永5年(1628年)に移築したものといわれる。
松向軒の名の由来は三斎の法名である松向寺殿三斎宗立に由来する。二畳台目、床(とこ)は下座床、炉は台目切とする。部材は大部分が新しいものに代わっており、三斎当時の形式がどれだけ残されているかは不明である。
墓所 - 本堂庭園には忠興とガラシャ夫人の墓塔となっている春日灯籠がある。この燈籠は忠興が生前こよなく愛し,自ら墓標に指定したといわれる。また、細川家墓地から藪を挟んだ裏手には非公開の墓地があり、忠興とガラシャの嫡男で追放された細川忠隆こと長岡休無や出雲阿国、名古屋山三郎、森鴎外の著作「興津弥五右衛門の遺書」で有名な興津弥五右衛門などの墓がある。