寒山詩偈賛歌

紹介文

高見祖厚、天保十四年六月、肥後熊本、細川藩士の家に生まる。

幼名を直熊と言い、家督を相続して累代の名 権右衛門を称す。

明治の世、廃藩置懸の後は名を「まもる」(古の下に心)と改め、後に剃髪して祖厚と称す。

祖厚の「寒山詩偈賛歌」を「釋教歌詠全集」に収むるに当り、筑前福岡の杉山茂丸氏序文を草して寄す。

祖厚禅師寒山詩偈賛歌

 高見祖厚禅師の寒山詩の句題和歌にして、詩意を優雅なる短歌に詠じ、却って新鮮味を具するもの多し。明治四十三年秋出版す。

禅師は肥後の人、廣川と号し、歌は中島廣足に学ぶ。

山岡鉄舟と親交あり。近衛霞山公(篤麿)、佐々克堂(友房)、の如きも禅師の教を受けたり。

京都大徳寺の高桐院に庵を結びて余生を送りたり。

 

     

高見祖厚禅師は余が精神上再生の恩人なり。

疇昔(ちゅうせき=むかし)贅を禅師榻(とう=長椅子)下(とうか=足元)に執る者数多ありしと雖も、多くは世に隠れて道筋を守るの人なり。

偶々一時盛名を得たる近衛侯爵、佐々克堂氏の如き今は早や幽冥の境に入りて呼べども還らざるの人となり了んぬ。

只だ余独り僅かに腥き名(生臭き名)と薄黒き影とを娑婆の片端に持て余して呻吟し居るは至極面目なきことに属すと雖も、之は決して余の罪に非ず。

世の中の空気と云う厄介な物が有るに因りて、拠ろ(よりどころ)なく活きて居るに因りて余儀なく様々の悪戯をなす次第なり。

禅師の大慈は此の活き残りの余をも漏らさず尚教化の徳を垂れ給はんとにや。

茲に寒山拾得詩偈を書き抜き之に一々和歌を詠付して余に授け給へり。

余熱心之れを捧誦すると雖も資性の魯鈍は会得に苦しみ、恰も壁を隔てヽ笙を聴き窓を閉ぢて月を見るが如く、チラホラホンノリと何か音あり光あるかを感ずるが如きのみ。

余今之れを刊行して知友に分つ所以のものは、更らに得逍会心の教へを先輩に聞かんと欲するが為めなり。

禅師は元と肥州の士、今庵を京都大徳寺内の高桐院に結べり。

皓潔無垢更らに心思を塵界に馳せずと雖も、慈悲は三界の有非を洩らさず、読者若し此の書によりて禅師教戒の妙機を知らば、或は余が禅師高徳の一端に酬ゆることに庶幾からん乎。

     明治庚戌の晩秋   相州鎌倉大佛寺畔に於て  其日庵腐軒誌

本文

寒山の詩をよみて一句の心をうたによみこころみむとおもいたちて、さびしき折々二三をよみて侍れど、つたなきまヽいかにやと思ふふしも多けれど、そはなほかうがへもせむとこたびはよめるまヽをしるして書付おくになむ。

     明治庚戌の春

        自在庵の北窓にしるすを人わらふなかれ  洛北隠子廣川

 

001

庭際何所有  白雲抱幽石

庭際何の有る所ぞ。 白雲幽石を抱く。

塵の世を よそに深山の しづけさは 庭のいはをも 雲につヽみて

世俗のよごれに関係の無い奥深い山の静けさは、庭石も雲に包まれているようだ。

002

泣露千般草  吟風一様松

露に泣く千般の草、 風に吟ず一様の松。

まつ風に 露ちるくさの しづくのみ 人なき山の 友ときヽつヽ

松の間を抜ける涼しげな風を待ってみても、露が滴り落ちる草の滴だけだ 。人気のない山で友人と一緒にその気配を感じながら。

003

踐草成三徑  瞻雲成四隣

草を踐んで三徑を成し、 雲を瞻(み)て四隣と作す。

注) 「三徑」 中国漢代の将翊(しょうく)が、幽居の庭に三筋の徑(こみち)をつくり、松・菊・竹を植えた故事から、庭につけた3本のこみち。隠者の庭園や住居。
たち隔つ 雲をとなりの 心ちして みすぢの道を かよふしづけさ

遠くにある雲を、あたかも隣に居るような思いで、わび住居の庭に通うこと、なんと静かなことよ。

004  

琴書須自隋  祿位用何為

琴書は須らく自ら隋ふべし。 祿位用(も)つて何か為さん。

風ならす まつの小琴を きヽながら ふみよむ身には 世をもおもはず

風が松の木に当たり小さな琴を鳴らしているようにきこえ、そこで読書をするのは熱中できてすばらしい。世俗を忘れてしまうほどだ。

005  

郷國何迢遞  同魚寄水流

郷國何ぞ迢遞(てうてい)たる。 魚の水流に寄るに同じ。

注) 「魚の水流に寄る」 小魚が小さな水の流れに寄り、大海を知らぬが如と言う意味。

山水の かヽる小池に すむ魚の あやうさしらぬ 人の世の中

山の清水が注ぎ込んでいる、小さな池に住み着いている魚は、人の世の中が危険なことを知るよしもない

006  

今日既老矣  餘生不足云

今日既に老いぬ。 餘生云ふに足らず。

髪白く こしかゞまりし 老の身は あすのさかえも おもはざりけり

白髪で腰が曲がってしまったこの年老いた体では、将来の繁栄など思いも及ばない。

007  

餓著首陽山  生廉死亦楽

餓えて首陽山に著(つ)かば、 生きては廉(かど=私欲がない)に死しても亦楽し。

後の世に うゑし蕨の 名をとめて きえけむ人や たのしかりけむ

ある人が死んだ後に(記念として)ワラビを植え、その名前を後世に残せば、(その後)あの世に行った人々は精神的に満ちあふれ、快かったであろう。

008  

寒山路不通  夏天氷未釋(解)

寒山路通ぜず。 夏天に氷未だ解けず、
夏の日も とけぬ氷の みやま路は よにすむ人の いかでこゆべき

夏になっても溶けない氷が張っている奥山の路は、生活を抱えているひとたちにとって、どのように越えたら良いのであろうか。

009  

可惜棟梁材  抛之在幽谷

惜む可し棟梁の材、 之を抛(ほお)つて幽谷に在(お)く。
あはれたゞ ひとり深山に 千とせふる かしの大木は しるひともなし

なんと哀れな事だろう。千年という長い間、人里離れた深い山に、ただ一本植わっている樫の大木があることを誰も知らないとは。

010  

高低舊雉喋  大小古墳瑩

高低舊雉喋(ちてふ)。 大小古墳瑩(えい)。
はかなしや 終の住家は 露霜の ふかき草葉の 底にしづみて

何と、はかないことだろう。(私の)最後に安住する所は雑草が生い茂って、露や霜が地面にまで降り注いでいるとは。

011  

不如鴻興鶴  えうやう入雲飛

如かず鴻と鶴と、 えうやうとして雲に入りて飛ばんには。

注) 「えう」=「遥」のしんにようを外したもの+風、「やう」=風+易。

なれが身に うるはしき色の なかりせば つると雲井に かけらむものを

あなたの体に美しい色がないのであれば、鶴が大空に向かって、高々と飛んでいってしまうのに。

012  

其貌勝仙人  容華若桃李

其の貌仙人に勝り、容華桃李の若(ごと)し。

一さかり 過ぐれば花も 何かせむ つひのたヽきの 身とはしらずや

最盛期を過ぎた花も何が出来ると言うのであろうか。最後には細かく刻まれてしまう身とは知らないのに。

013  

誰當來嘆賀  樵客屡經過

誰か當に來つて嘆賀すべき、 樵客(せうかく)屡經過するのみ。

月影を めづるもおろか おくやまの こけのしたにぞ おもひしるべき

月のあかりを褒めるのは愚かしいことだ。奥山にひっそりと生えている苔のその下に何があるかを考えるべきである。(見える物ばかりを探求しても、あまり意味がない。見えない物をかんがえることが大事である。)

014  

山果み猴摘  池魚白鷺銜

山果み猴摘み、 池魚白鷺銜(ふく)む

ましら鳴く みやまの奥の いけ水を くみて世をふる 身こそたすけれ

猿が啼いているような奥深い山の池水を汲んで世の中を送っている身であればこそ、真の値打ちのあるものだ。

015  

萬物有代謝  九天無朽摧

萬物に代謝有れども、 九天に朽摧無し。

花もみぢ 消えゆく冬も あめつちの まことのいろは あする世もなし

紅葉が終わって散ってゆく冬でも、自然界のあたりまえの色が褪せるようになることはない。

016  

山花笑告  巖樹舞青煙

山花告に笑ひ、 巖樹青煙に舞ふ。

おもしろき 春にも有るかな さく花を つヽむ霞も 色ににほいて

注) 「匂ひて」 こヽは色のうつくしく映ずる義。

何と風情のある春であろうか。さくらの花を包んでいる霞も色に染まっているようだ。

017  

可來白雲裡  教爾紫芝歌

來る可し白雲の裡、 爾(なんじ)に紫芝の歌を教へん。

とこしへに かはらぬ道を をしふべし 白雲かヽる 山にきたらば

白雲がかかるような高い山に来たからには、永遠に変わらない道があることを教えるべきである。

018  

十年歸不得  忘却來時道

十年歸ることを得ずんば、 來時の道を忘却せん。

年をへて 山にすむ身は 分きつる 道さへわかず 今はなりけり

年をとって山にこもってしまったこの身では、今ではどの道が正しいのか分別もつかなくなってしまった。

019  

醍醐與石蜜  至死不能嘗

醍醐と石蜜(しゃくみつ)と、 死に至るだも嘗(な)むること能はず。

世にすめば まことのみちの たへなるを 死する時だに しる人もなし

真の道が妙なるものであることを、いよいよ死ぬるという時になってもなかなか分かる人がいないものだ(武田智孝氏訳)。

020  

其中半日坐  忘却百年愁

其の中半日の坐、 百年の愁を忘却す。

しばしだに こヽろすみなば 百とせの よのうき身をも わすれはつへし

ほんの一時でも心が清純になれば、百年のつらいことの多い身の上さえも、忘れ果ててしまうものだ。

021  

ョ我安居處  此曲舊來長

ョ(さひはひ)に我が安居の處、 此の曲舊來長し。

いくよろづ つたへてのこる しらべをも きく人のなき 世にもあるかな

さまざまな曲が伝え残されてきても、それを聴く人は少ない世の中であることだ。

022  

謂言最幽野  巖岫深嶂裏

謂ふ言(わ)れ最も幽野なりと。 巖岫(がんう)深嶂の裏、

にしきなす みやこ大路の 花よりも 深山の色の なつかしきかな

雅やかな京の都の桜よりも、人里離れた山の景色の方が懐かしいのはどうしてであろうか。

023  

入夜歌明月  侵晨舞白雲

夜に入つて明月に歌ひ、 晨を侵して白雲に舞ふ。

しら雲の はるヽ深山に てる月の すめる光は 世にたぐひなし

雲のない晴れ渡った奥山に、照り輝く月の光は類を見ない美しさだ。

024  

棲桐食竹實  徐動合禮儀

桐に棲み竹實を食ふ。 徐(しずかに)動きて禮儀に合(かな)ひ、

たふとしな ひじりの御代に すむ鳥の くすしき聲を きヽし君はも

注) 「ひじりの御代にすむ鳥」 鳳凰をいふ

高貴な鳳凰の神秘的な鳴き声を、聞いたのはあなたなんだなあ。

025  

家中何所有  唯有一牀書

家中何の有る所ぞ。 唯一牀(しょう=床)の書のみ有り。

あれはてヽ みるかげもなき 草の屋に むかしをしのぶ 文は有けり

荒れ果てて見る影もない粗末な家に、昔が偲ばれる書物が、そこにありました。

026  

苔滑非關雨  松鳴不假風

苔滑かにして雨に關ず(かかわらず)。  松鳴りて風を假ず(借りず)。

こけむせる み山のまつの 風なくて しらぶる音の しづかなるかな

苔が生い茂る深い山には松籟もなく、音楽を奏でる音色のなんと静かであることよ。

027  

彈指不可論  行恩却遭刺

彈指して論ず可からず。 恩を行つて却つて刺さる。

うきしづむ 苦海の人を いつかわれ おぼれてすくふ 身とはなるらむ

苦しみの絶えないこの世で、もがき苦しんでいる人をおぼれてでも救いたい人間になりたいものだ。

028  

隈墻弄蝴蝶  臨水擲蝦蟆

墻(垣)に隈(そ)うて蝴蝶を弄び(もてあそび)、 水に臨んで蝦蟆(がま)を擲つ(なげうつ)。

春花も 月も紅葉も 見る夢の さめぬその間は 色ことにして

春の桜の花にしても、月や紅葉なども夢が冷めないうちは、それぞれの色はしっかり異なっているものだ。

029  

昔日於貧我  今我笑無錢

昔日は我よりも貧なりき。 今(けふ)は我錢無きを笑ふ。

ゆめの間に 淵瀬とかはる 世のさまを しらでわらふも あはれなる身や

はかない人生の浮沈が激しい実情を知らずに嘲笑する人は何と哀れなことよ。

030  

倉米已赫赤  不貸人鬥升

倉米已に赫赤(かくせき)なれども、 人に斗升(とます)を貸さず。

人をすくふ 心もなくて おのれのみ ぢごくのたねを つめるおろかさ

他人を助ける気持ちもなくて、自分だけが地獄に落ちるような振る舞いを、せっせと行うのは何と愚かな事であろう。

031  

欲往蓬莱山  將此充糧食

蓬莱の山に往かんと欲し、 此を將(も)つて糧食に充つ。

われにある たからをすてヽ 仙人の すみかたづぬる 身ぞあはれなる

自分の持っている宝を放棄してまで、仙人の暮らす住家を訪ねるほど、きのどくなことはない。

032  

時訪豐乾老  仍來看拾公

時に豐乾(ぶかん)老を訪ね、 仍(しきりに)來つて拾公(=拾得)を看る。

人しらぬ 月日のひかり もろともに てらしあひつヽ たのしかるらん

だれも知らないうちに月光や日光が互いに照らしあっている年月が経てゆく姿は、何と光輝く楽しい事であろうか。

033  

今日又不修  來生還如故

今日又た修めずんば、 來生還(らいしょうま)た故の如けん。

立かへり 來む世のつみを おそれなば この世にみがけ 玉のひかりを

何度も何度も来世での罰を怖がるのであれば、生きている内に善行を繰り返すことだ。

034  

衰傷百年内  不免歸山丘

衰傷す百年の内、 山丘に歸するを免れざることを。

花もみぢ 終にちるべき ことわりを さとりしりなば つとめざらめや

見事に紅葉したもみじも、最後には散ってしまう道理を知っていたならば、紅葉の努力などするであろうか。

見事に紅葉したもみじも、最後には散ってしまう道理を知っていれば、なお一層紅葉に努めずにはおられようか(武田智孝氏訳)。

035  

昨日會客場  惡衣排在後

昨日客の場に會し、 惡衣にて排(しりぞ)けられて後に在り。

はかなしや 身にある玉を しらずして みゆるにしきを 人のたふとぶ

自分の心の中にある大切なものを知らずに、外見の良さだけで他人が貴いと評価するのは、何とあさはかなことであろうか。

036  

室中雖翁曖  心裡絶喧囂

室中翁曖たりと雖も、 心裡喧囂(けんごう=やかましいさま)を絶す。

注) 「」の正字は、「日扁に翁」

露じもの もるばかりなる 草の屋も こヽろしずめば のどかなりけり

露や霜が漏るような草ぶきの粗末な家でも、心を落ち着かせば静かでのんびりできるものだ。

037  

用之若失所  一闕復一虧

之を用ふるに若し所を失はば、 一闕(=宮城)復た一虧(き=欠)。

人の知も 品さま/\に もちひずば かはるうつはも かいやなからむ

人の持つ知識も色々な角度から利用しなければ、様々なきれいな器もだいなしになってしまうであろう。

038  

始憶八尺漢  俄成一聚塵

始め八尺の漢と憶(おも)ひき、 俄に一聚の塵となる

ときめきし 人のすがたも 夢の間に 山路のちりと なるぞはかなき

すばらしく魅力あふれる人だと思っていたのに、いつのまにか忘れられてしまう様は、なんと虚しいことであろうか。

039  

自矜美少年  不信有衰老

自ら矜る(ほこる)美少年、 衰老の有ることを信ぜず

うるはしと ほこる姿も あはれなり かしらに雪の つむをしらずて

自分は麗しいと自慢している姿も、頭に雪が積もっているのを(欠点があることを)知らないのは何と哀れなことだろう。

自分は麗しいと自慢している姿も、やがて白髪の老人となるであろうことを思い見ないでいるのは、何と哀れなことだろう(武田智孝氏添削)。

040  

竟日常如醉  流年不暫停

竟日(ひねもす)常に醉へるが如し。 流年暫くも停らず。

見し夢の さむる世もなく とし月を まよひて過す 人のおろかさ

夢を追いかけ続けて、何年もさまよいながら過す人は、何と愚かで未熟なことであろう。

041  

昨來訪親友  太半入黄泉

昨(きのふ)來つて親友を訪へば、 太半黄泉に入る。

きのふ見し 人さへ今日は なき世ぞと さとらばたれか あだに過さむ

たったきのう見た人でさえ今日は死んでしまう世の中であると気がつけば、人生無駄には過ごせないものだ。

042  

游戲不覺暮  屡見狂風起

游戲(ゆげ)して暮るヽを覚えず。 屡狂風の起るを見る。

注) 」(る=しばしば)は旧字で書かれているが、変換できず。正字は「窶(やつし)」のウ冠の代わりに屍冠

のる舟の あやうさしらで たのしげに あそぶぞ心の はてぞはかなき

自分が乗っている舟が危険であることも知らずに、楽しげに遊んでいる姿は、最後にはむなしく消えていってしまうものだ。

043  

吾心似秋月  碧潭清皎潔

吾が心秋月に似たり。 碧潭(へきたん=深く青々とした淵)清うして皎潔(こうけつ=白く清らか)たり。

水が澄んでいようと濁っていようと、そこに写る月影は常に変わらず清かである(武田智孝氏訳)。

澄みにごる 水の心に まかせつヽ 曇らぬ月の かげのたふとさ

水は清んだり濁ったり気ままだが、雲一つない月の光は何と美しく貴い影を落とすのであろうか。

水が澄んでいようと濁っていようと、そこに写る月影は常に変わらず清かである(武田智孝氏訳)。

044  

玉帶暫時華  金釵非久飾

玉帶は暫時の華、 金釵(きんさ)は久しき飾に非ず。

玉の帯 金のかざりも 見る夢の さめぬその間の すさびなりけり

美しい帯や金の飾りなどは、夢を見ている間だけの慰みごとに過ぎない。

045  

春秋未三十  才藝百般能

春秋は未だ三十ならずして、 才藝は百般の能なり。

無き後の 名をもおもはで 生くる身を ほころがほにも 過ぐるおろかさ

死んだ後の名声も考えずに生きることは、そのときの誇らしい顔にも負けず劣らず愚かなことだ。

046  

今日揚塵處  昔時為大海

今日塵を處、 昔時は大海(た)

名におへる ならのみやこの 八重さくら あとだにとめぬ 野原にぞきく

かの有名な奈良の都の八重桜が散ってしまい、その跡形すら全く残っていなかったので、思わずその野原にどうしたのかと聞いてみた。

047  

含笑樂呵呵  啼哭受殃抉

笑を含んで樂しみ呵呵たれども、 啼哭(ていこく=大声で泣く)して殃抉(わうけつ=災い)を受けん。

たのしとて 地ごくのたねを まきそふる 心おもへば あはれなりけり

楽しいからと云って、地獄に落ちてしまいそうな原因をまき散らす行動は悲しいことだ。

048  

肯信有因果  頑皮早晩裂

肯て因果あることを信ぜんや。 頑皮早晩(いつか)裂けん。

生きて世に 見るかげもなき かたちこそ むくふ因果の 姿なりけり

人生を過しているうちに、過去の華やかな実績が想像できないほど、みすぼらしい姿になってしまうのは、因果関係そのものの実態なのだ(必ずどこかにその原因が潜んでいる)。

049  

投之一塊骨  相與啀喋爭

之に一塊の骨を投ずれば、 相與に啀喋(がいさい)として爭ふ。

名と利とを ねがふあまりに 身につもる 苦しさを知る 人ぞすくなき

名声と巨利を求めるあまり、(その反動として)体が弱り、精神的にも苦しさが増えてしまうことを知っている人は極めて少ない。

050  

鴟鴉飽猥倭  鸞鳳飢彷徨

鴟鴉(しあ=ふくろうとからす)は飽いて猥倭(わいすい)、 鸞鳳はえて彷徨(ほうこう)

注) 「」と「」の正字はいずれも月扁。

よる光る 玉もしる人 なき世には つちかはらにも およばざりけり

夜になると光り輝く宝物があることを知っている人がいない世の中であれば、その貴重な宝物は値打ちのない土や瓦にも劣ってしまうものだ。

051  

洛陽多女兒  春日逞華麗

洛陽に女兒多し、 春日華麗を逞(たくまし)うす。

百年も かはらでにほふ 花なれば はるもたのしく ながめむものを

百年の長期に亘って変わらず芳香を発する花であれば、色々の花が咲き乱れる春であっても、期待を膨らませて眺めるのだが。

咲き匂う花々がいつまでも変わらず咲き続けるのであれば、春もひたすら楽しいばかりだろうが、やがて散る花であれば、楽しさの中に寂しさや悲しみもまじってくる、それもまた良いではないか(武田智孝氏訳)。

052  

看花愁日晩  隱樹怕風吹

花を看ては日の晩(おそ=夕暮れ)きを愁ひ、 樹に隱れては風の吹くに怕(お=おそれる)ず。

花にうらむ 風もさくらも ひとつ色と しらぬまよひに なげく世の人

盛りを過ぎた桜の色や、風に吹かれて散ってしまう花びらも、同じ桜の移ろいであることを知らずに、嘆く人たちの何と多いことよ。

053  

為觀失道者  鬢白心惶惶

為に觀よ道を失する者、 鬢白うして心惶たり

身にかざる  こがね白金 何かせむ こヽろの玉の 色をしりなば

自分の心の内に金銀の輝きを知っていれば、身に飾る宝飾品はありのままでよい。

054  

蚊子釘鐵牛  無渠下觜處

蚊子鐵牛に釘(くぎう)つ。 渠(きょ=首領)觜を下す處無し。

くもり行く 心のやみに おに神の まがも身にそふ ものとしりなば

    心の片隅に、鬼神の禍も自分の身に付きまとうものである、と知ってしまうと気持ちが沈んでしまう。

    曇って暗くなってゆく心の闇には、いつの間にか鬼神の禍が棲みつくものだと知っておいてほしいものだ(武田智孝氏訳)。

055  

悠悠不見清  人人壽有極

として清むことを見ず。 人壽極り有り、

身につもる よはひをしらで いたづらに 過しなゆきそ わかきその間を

段々と年をとってゆくことを知らずに、虚しく時を過ごしては決してならぬ。若いうちは特にそうだ。

056  

煩惱從何生  愁哉緑苦生

煩惱何によりてか生ず。 愁ひなるかな苦に緑つて生ず。

おもふこと つきぬまよひに いとゞなほ 苦しきうみに しづみはつらむ

考え事が迷いに迷って、それでもいよいよなお、苦しい海底に沈みこんでいるのだろうか。

057  

土牛耕石田  未有得稻日

土牛石田を耕せば、 未だ稻を得るの日有らず。

世にいでし かひこそなけれ たぐひなき 人のひとたる 道をしらずば

世にでても、一緒になる仲間がいないという事は、人間はどうあるべきかを知らないが為の生き甲斐知らずだ。

こよなく尊い人の道を知らなければ、この世に生まれてきた甲斐がないではないか(武田智孝氏訳)。

058  

草生芒種後  葉落立秋前

草は生ず芒種(ぼうしゅ)の後。 葉は落つ立秋の前。

おもへ人 花ほとヽぎす 月ゆきも たゞゆめの間に 過ぐるながめを

人たるものは、桜や時鳥、月、雪など自然の移ろいは、夢の中で過ぎ去ってゆく眺めであることを考えなさい。

059  

心惆悵狐疑  年老已無成

心惆悵(ちょうちょう)して狐疑す、 年老いて已に成す無きことを。

うたがはゞ 百年ふとも むねにみつ こヽろのやみは はるヽ世もなし

疑うべきことは、百年経過しても胸の中に満ち溢れている心の闇が、晴れる世の中はないということだ。

仏の道を信じなければ、百年たっても心の闇は深まるばかりで晴れることはあるまい(武田智孝氏訳)。

060  

彼此莫相喰  蓮花生沸湯

彼此相喰ふこと莫(まな)くんば、 蓮花沸湯に生ぜん。

注) 「」の正字は口扁に敢(くらふ)。

おのがつくる 罪し消えなば あつき湯の 中もはちすの ひらけざらめや

自分が犯した罪こそ消えてしまったならば、熱い湯の中でも蓮の花が開かないであろうか。 いや、きっと見事に咲くに違いない。

人間の罪深さが消えるというのは、熱湯の中で蓮の花が開く奇蹟と同じくらい起こりえない、それくらい人間というのは罪深い存在だ(武田智孝氏訳)。

061  

快哉混沌身  不飲復不尿

快なる哉混沌の身、 飲せず復た尿せず。

生れ出ぬ 前の心を おもひとらば くるしき世をも やすく過ぐべし

生れ出てくる前の心を理解すれば、苦労の多い世の中も安らかに過ごすことができる

無我の境地に至れば、苦労の多い世の中も安らかに過ごすことができる(武田智孝氏訳)。 

062  

應當有別離  復是遭喪禍

應當(まさに)別離有べし。 復た是れ喪禍に遭わん。

雨風の さはりをいとふ こヽろには 月の光も いかでみるべき

風雨の障害を嫌う心では、月の光などはどのように見えるのであろうか。

月の光も風雨災害も同じ自然の姿である。自然災害を忌み嫌い文句ばかり言うような人は月の光を愛でる資格があるだろうか(武田智孝氏訳)。

063  

背後瞳魚肉  人前念佛陀

背後には魚肉を瞳ひ、 人前には佛陀を念ず。

注) 「」の正字は口扁に童。

かひなしや 人をおそるヽ いつはりに つひにほとけの 光だに見ず

仕方がないことだが、他人を畏敬の念で恐れうやまうという見せかけは、最後には仏の正しい教えすら見えなくなる。

世間を気にして偽りの自分ばかりを見せ続け、結局仏の光にも触れることなく終わるとは、なんと嘆かわしいことか(武田智孝氏訳)。

064  

險戯難可測  實語却成虚

險戯(けんぎ)測る可きこと難し。 實語却って虚と成る。

注) 「」の正字は口扁に戯。

たへめやは こゞしき道を まことぞと おもひまがへる 塵の世の人

岩がごつごつして険しい道を、正しい道だと思い違え、世俗の汚れに浸っている人々は耐えることができようか。いや、できない。

邪道を正道と思い違えて塵にまみれて生きている人は果たしてそれで最後まで持つでしょうか(武田智孝氏訳)。

065  

一身無所解  百事被佗嫌

一身解する所無く、 百事佗に嫌はる

よしあしの 道にまよひて 世の人に うとまれはつる 身ぞあはれなる

善悪の道に迷って、世の中の人々から、 嫌われ遠ざけられる人間ほど、気の毒なことはない。

066  

終歸不免死  浪自覓長生

終に歸りて死を免れざるに、 浪(みだ)りに自ら長生を覓(もと)む。

うまれきて 愚痴をたのしと 過ぐる人 あはれよみちの 道まどふらし

この世に生まれて、愚痴を言う事が楽しいと思い込んでいる人は、暗い夜道に迷っているような気の毒な人だ。

067  

折葉覆松室  開池引澗泉

葉を折って松室を覆ひ、 池を開いて澗泉を引く。
注) 「」の正字は、日を月に置き換える。

たのしさは かぎりあらめや 松影に いづみをくみて 世を過す人

松の根元にある泉の水を汲んで生活をする人々にとって、楽しさに限界があるであろうか。きっと何をやっても楽しいに違いない。

068  

能益復能易  當得上仙籍

能く益し復た能く易ふれば、 當に上仙の籍を得べし。

生死も 何かあるべき あめつちと ひとつこヽろに かへしはてなば

天地の神々と心が通じ合っているように自分を変えてゆけば、生き方の死の問題も何か手がかりがあるかもしれない。

無我、無心の境地に返るならば、生きるの死ぬのと何を思い煩うことがあろうか(武田智孝氏訳)。

069  

徒勞説三史  浪自看五經

徒らに勞して三史を説き、 浪(みだ)りに自ら五經を看る。

かぎりなき 文のはやしを 分け来ても 心まよへば かひなかりけり

際限のない文章の数々を読み分けても、自分の心が乱れてしまえば、読書の効果はないものだ。

070  

寒山月華白  默知神自明

寒山月華白し。 默して知れば神自ら明に、

てりまさる み空の月も おのづから こヽろにかよふ 光とぞしれ

照り輝いている夜空の月も、自分自身の心の内に生み出された光であると知ることだ。

071  

借問作何色  不紅亦不紫

借問(しゃくもん)す何の色をか作す。 紅のあらず亦た紫にあらず。

生まれ來し こヽろの色は そめもせで 千とせもくちぬ 匂なりけり

心に生まれてきた、深く思い染った色は、染返しをしないでも、永遠に色落ちがしない美しい色合いである事よ。

生まれてきたままの心の色は、染返しをしないでも、永遠に色落ちがしない美しい色合いである事よ(武田智孝氏添削)。

072  

柔和如卷霧  搖洩似行雲

柔和にして霧を卷くが如く、 搖洩(えうえい)して行雲に似たり。

注) 「」の正字はさんずいの代わりに手扁。

たふとしな 眞如の月の ひかりこそ あまつみ空に みちわたりけり

ありのままの月の光そのものこそ、広く大空に満ち渡る誠に気高く品位のある光である。

073  

心貪覓榮華  經營圖富貴

心貪(とん)にして榮華を覓(もと)め、 經營して富貴を圖(ず=図はかる)す。

あはれたゞ 世のさかえのみ 願ふ身の つひにはくらき 闇にまよふも

気の毒なことだが、世の中の繁栄だけを願っている人は、最後には暗闇の中で迷ってしまうものだ。

074  

子大而食母  財多還害己

子大にして母を食う。 財多くして還つて己を害す。

たのまれず 子をおもふ親 の眞心を あだになしゆく 人の世の中

頼まれもしないのに、子供の幸せを願う親の真心を無益なものに変えてしまう、この世のなんと残酷なことよ。

子供の幸せを願う親の真心を、無益なものに変えてしまう、この世の中は何とまあ当てにならないことよ(武田智孝氏添削)。

075  

得利渠即死  失利汝即祖

利を得れば渠(首領)即ち死し、 利を失すれば汝即祖(たほ)れん。

注) 「」の正字はかばね編に且。

みちかくる 世のことわりを おもひなば むさぼる心 あに出でめやは

揺れ動くこの世の判断基準を考えれば、飽きることなく物事を欲しがる心が、どうして出てくるのであろうか。

076  

瞋是心中火  能燒功コ林

瞋(しん)は是れ心中の火、 能(よ)く功コ林を燒く。

しのべたゞ いかる心の 火をもちて 身をやく人を あはれとおもはゞ

怒り叫ぶ心が自分を見失ってしまう、ということが情けないことだと思えば、ただ我慢をしなさい。

077  

人間八百歳  未抵半宵長

人間八百歳、 未だ半宵の長きにも抵(あたら)ず。

此の世にて 長き命も さきの世は よひのねむりの さむる間もなし

現世で長かった命も、来世では夜の眠りが覚める時間にも満たない。

078  

不求當來善  唯知造惡因

當來の善を求めず、 唯だ造惡の因を知る。

つくりおく 罪のふかさを おもはずて などよきことを よそになすらむ

積み重なって行く自分の罪の深さを考えずに、何故、善行を他所でしようとするのであろうか。

積み重なって行く自分の罪の深さを考えずに、何故、善行を他所でしようとするのであろうか。いや、自分の積み重ねた罪の深さを十分思い知った上で、罪滅ぼしをしているんですよ(武田智孝氏添削)。

079  

渠若向西行  我便東邊走

渠若し西に向つて行かば、 我は便ち東邊に走らん。

大方に そむき/\て なすわざの あしきをしれる 人ぞすくなき

世間一般の人々に対して、反対ばかりする行為は、悪いことだと知っている人は少ない。

080  

努膊覓錢財  切齒驅奴馬

膊(かた)を努(いから)して錢財を覓(もと)め、切齒して奴馬を驅(かけ)る。

夢の間の 命としらで たからのみ あつむる人の 身ぞあはれなる

自分の命は、ほんの一瞬であることを知らずに、蓄財ばかりをする人は、何と哀れなことだろう。

081  

何須殺佗命  將來活汝己

何ぞ須 (もち)ひんの命を殺すことを、 將(も)ち來つて汝を活かすのみ。

魚鳥の 肉をくらひて おのが身の つゞかなかれと 思ふおろかさ

魚や鳥の肉ばかり食べて、自分の体が健康であれ、と願うほど愚かしいことはない。

殺生をしてばかりして、自分の体が健康であれ、と願うほど愚かしいことはない(武田智孝氏訳)。

082  

棄金卻擔草  謾佗亦自謾

金を棄てて卻(かへ)つて草を擔(=担、にな)う。 佗を謾し亦た自ら謾す。

えぬ玉を 得たりといひて 世の人を たばかるつみは のがるべしやは

持ってもいない財宝を、あたかも持っているように、世の中の人々をだます罪は、逃れることができようか。

083  

佛説元平等  總有眞如性

佛説は元平等、 總て眞如の性(しゆう)有り。

人のみか この世に生る 草木まで おなじほとけの 光なりけり

人間だけでなく、この世界に生きている草木までも皆、同じ仏様による栄光をうけている。

084  

護即弊成好  毀即是成非

護すれば即ち弊も好と成り、 毀(き=こわす)すれば即ち是も非と成る。

よしあしの 人のことばは たのまれず おのが心に とはゞ知らまし

事の善悪について、他人のいう事は当てにせず、自分の心に聞けば、自ずから判断できたであろうに。

事の善悪について、他人のいう事は当てにせず、自分の心に聞けば、自ずから判断できるであろうに(武田智孝氏添削)。

085  

閑居好作詩  札札用心力

閑居して詩を作ることを好み、 札札(あつあつ)として心力を用ふ。

身にもてる こヽろの玉の くもりなば ふみよむわざも かひやなからむ

自分の身に付けている、美しく清らかな心に陰りができれば、読書しても無駄なことになるであろう。

086  

水結即成氷  氷消返成水

水結べば即ち氷と成り、 氷消ゆれば返つて水と成る。

生死の はてもしるべし むすびては こほりともなる 水をさとらば

水は結晶し氷になり、また融けて 水に戻ることを理解していれば、人間の喪の終わったあとに、どうなるかを知ることもできるはずだ。

水は結晶し氷になり、また融けて 水に戻ることを理解していれば、人間の喪の終わったあとに、どうなるかを知ることもできるはずだ。人間も輪廻転生の中にいる(武田智孝氏添削)。

087  

不覺大流落  播播誰見矜

覺えず大に流落す。 播播(はんばん)として誰か見て矜(あはれ)まんや。
注) 「」の正字は、白+番。

時を得て おこりし人も 老はてヽ 世をはかなさと なげくかひなし

機をとらえて隆盛した人も、老人になって世の中は、はかないものだと嘆いても、それは仕方がないことだ。

088  

信君方得珠  焉能同汎艶

君が方に珠を得るに信(まか)す。 焉(いずくん)ぞ能く同じく汎(はんえん)として、
注) 「汎艶」 は水に浮かぶ姿。(えん)はただよう姿。」の正字はさんずいに艶

玉をえて 身をすてんより おのづから 生のまに/\ 世をやへなまし

財産を得て、夢中になって身を投じるより、自然体で生きるがままに人生を楽しめばよかったのに。

財産を得ることに夢中になって身を投じるより、自然体で生きるがままに人生を楽しめばよかったのに(武田智孝氏添削)。

089  

行之則可行  卷之則可卷

之を行ふときは則ち行ふ可し。 之を卷くときは則ち卷く可し。

あめつちの ことわりして 何事も 時にまかせて 過ぐべかりけり

何もかも宇宙の道理に従って、時が経るままに、自然体で過ごすべきであった。

090  

益人明何損  頓訝惜餘光

人を益とするとも明なんぞ損せん。 頓に訝(いぶか)る餘光を惜しむことを。
注) 「」の正字は「言+巨」

いかばかり たのしからまし ともし火の ひかりをわけて 人をてらさば

お互いに考え方を開陳し、理解し合えば、どれほど楽しいことであろうか。

091  

不識個中意  逐境亂紛紛

識らず個中の意、 境を逐(とげ)うて亂れて紛たり。

何にかく よそにもとめて まよふらむ こヽろに玉の ひかりある身を

自分の心の中に、美しく優れたものがあるというのに、どうしてこのように、外に答えを探し回って迷うのであろうか。

092  

更觀塵世外  夢境復何為

更に觀よ塵世の外、 夢境(=夢路)復た何すれぞ。

山だかみ 雲も煙も ひとつにて きゆればかげも のこらざりけり

山の高いところで、雲や煙なども、一つにまじりあって消えてゆくと、そこには影も形も残らなかった。

山の高みのような高邁な精神を得るに至れば、心を曇らせるものはみな消え去って、晴朗な悟りの境地に入れる(武田智孝氏訳)。

093  

行愛觀牛犢  坐不離左右

行きては牛犢(ぎゅうとく=子牛)を愛し觀、 坐しては左右を離れず。

起ふしも おなじ佛の みめぐみを はなれぬ身とは しるやしらずや

寝ても覚めても、同じ仏様から、たくさんの恵みを、苦労もなく手に入れ続けている自分に、気が付かないのであろうか。

094  

秦衛兩不成  失時成齟齬

秦衛兩(ふたつ)ながら成らず、 時を失うて齟齬(そご=食い違い)を成す。

すぐなみち すてヽ横道 ふむひとは ゆきてまよわぬ ためしやはある

正道を歩むのを止めて、邪道に走る人は、迷ってしまわないという先例があるのだろうか。いやきっと迷うに違いない。

095  

自怜生處樂  不奪鳳凰池

自ら生處の樂を怜(あわれ)んで、 鳳凰の池を奪はず。

おのが身の ほどをしりなば うき事も しらで此世は やすく過ぐべし

自分の分際をわきまえていれば、辛いことも知らずに、この世を安穏に過ごすことができよう。

096  

錐刺猶不動  恰似羊公鶴

錐(きり)をもって刺せども猶動かず。 恰(あたか)も羊公の鶴に似たり。
注) 「羊公の鶴」 昔、晋の羊淑子は良く舞う鶴を持っていた。客に自慢の鶴を飛ばそうとしたが、羽ばたくばかりで舞うことはしなかった。この鶴に例えて「羊公の鶴」と称した。

世にいでヽ かひもなきかな おのが智を はたらくほどの わざもなき身は

自分の持っている知恵を利用するほどの、能力のないこの身では、世の中に出て何をしたところで、どうしようもない。

097  

誰能借斗水  活取轍中魚

誰か能く斗水を借り、 轍中の魚を活取せん。
注) 「轍中の魚」 わだちの小さな水たまりの中で苦しみあえいでいる魚。

おのが身に そはぬたからを もとむるは 死したる魚の 水はものかは

自分自身にそぐわない宝物を求めるのは、死んだ魚へ水を与えても、何にもならないのと同じこと。

098  

前廻是富兒  今度成貧士

前廻は是れ富兒、 今度(このたび)は貧士と成る。

おもはなむ めぐる車の かへり來る そのよしあしは 身にあることを

あちこち巡回した車が帰ってくるのが、良かったのかどうかは、自分自身が判断することである、と思ってほしい。

因果の小車が巡ってくるその結果が、良かったのかどうかは、自分に原因がある、と思ってほしい(武田智孝氏添削)。

注)「因果の小車=いんがのおぐるま」とは、原因と結果が永久に繰り返されるさまを、いつまでも止まらない車の輪に例えて言う仏教語。

099  

必也關天命  今年更試看

必ずや也(ま)た天命に關(関)す、 今年も更に試み看よ。

何事も たゞもちえたる おのが身の 玉しみがヽば くもる世もなし

自分自身で持っている長所を、伸ばしさえすれば、うまく行かないことはない。

100  

為汝熟思量  令我也愁悶

汝が為に熟(つらつら)思量すれば、 我をして也(ま)た愁悶せしむ。

たる事を こヽろにしらば まづしきも とめるも身には ねがはざらまし

身分相応に満足することを知っていれば、貧しい人でも裕福な人でも、それ相応に欲しがったりはしなかっただろう。

身分相応に満足することを知っていれば、貧しくても裕福な身分になりたいものだなどと願ったり、富者を羨んだりはしないだろう(武田智孝氏添削)。

101  

夫妻共百年  相憐情狡猾

夫妻共に百年、 相憐んで情狡猾(こうかつ=悪賢い)たり。

百とせの ちぎりも何か たのむべき その人ならぬ よはひたがはゞ

百年の宿縁も、相手が変わり、年も違ってしまえば、何を根拠に信用するというのであろうか。

102  

時哭路邊隅  屡日空思食

時に路邊の隅に哭す。 屡日(るじつ)空しく食を思ひ、

あはれまた 此世の餓鬼と 生れ来て くさをしとねと 過ぐるいのちは

生前の悪行のために、この世では餓鬼道に落ちて生まれて、寝床は枯草で過ごすような宿命は、何と哀れなことか。

103  

童子欲來沽  狗咬便是走

童子來り沽(かは=おろそか)んと欲すれども、 狗(く=犬)に咬まれて便(すなは)ち是れ走る。

世の中は 人かむ犬を しらずして あはれとゞめて 國ぞみだるヽ

世の中では、人間に噛みつく犬がいることを知らないで、犬をそのまま放置しようとするのは、国を乱してしまう元凶となる。

世の中を見ていると、裏切り者(不忠者)をそれと見抜けずに、あらんことか側近に据えたりして、これは国が乱れる元ですよ(武田智孝氏訳)。

104  

狐假師子勢  詐妄卻稱珍

狐師子(しし)の勢を假り、 詐妄(さもう)して卻つて珍と稱す

獅子をかりて 人をたばかる きつねのみ おほき此世を いかにしてまし

獅子頭の面を借りて、人をだまそうとする狐の身で、偉大ななこの世を、どのようにしようとするのであろうか。

虎(獅子)の威を借る狐のような奴らばかりが、やたらと多いこの世の中を、いったいどうしららいいものか(武田智孝氏訳)。

105  

疎疎圍酒吹@ 蘆菰將代席

疎疎として(まばらに)酒吹iしゅそん)を圍む。 蘆菰(るしょう=まこも)將(もって)席に代へ、
注)「」の正字は草冠に「哨」の旁。

野に山に くむさかづきの たのしみは うき世の外の かげぞうつれる

野や山に出掛けて、杯を酌み交わす楽しさは、つらいことの多いこの世とは、違う景色が見えるようだ。

106  

嚢裡無青蜻  篋中有黄絹

嚢裡に青蜻(せいふ=かげろう)無く、 篋(けふ)中に黄絹(くわうけん)有り。

夢のうちに わがおもふ人の きたるこそ 誠のかよふ しるしとぞしれ

自分の好きな人が、夢の中に現れるということは、正に誠意が相手に伝わっている証拠だと思いなさい。

107  

送向荒山頭  一生願虚擲

荒山頭に送向せられて、 一生願虚しく擲(なげう)つ。

人もまた 老いず死なずの 世にしあらば 苦しき身とも しらで過ぎまし

人間も仏様のように、老いないし、死なない世の中であったならば、自分が苦しい立場にあっても、それに気付かずに過ごしたであろう。

108  

不用從黄口  何須厭白頭

黄口(=小児)に從ふことを用いず。 何ぞ白頭を厭(いと)ふことを須(もち)ひん。

小すゞめの 食をあされる 聲きけば あはれとおもふ 人もある世を

小雀が餌を探している声を聴いて、かわいそうだなと思う人がいるこの世は救われる。

109  

貧賤骨肉離  非關少兄弟

貧賤なれば骨肉も離る。 兄弟少きに關せず。

あはれ世は たかねの花の 色をのみ したふ習と なるぞかなしき

ああ何と、この世の中では憧れの存在である、あの花の華やかさだけを、恋い慕う習慣になってしまっている、ということは悲しいことだ。

110  

養得八九兒  總是隨宜手

八九兒を養ひ得たり、 總て是れ宜しきに隨(従)ふ手だて、

よき事を はかりてなせる 手だてこそ 苦しきを得る はじめなりけり

善行に優劣を付けて、実行しようとする方法が、苦悩に陥るはじまりとなってしまう。

善行を善意からではなく、計算ずくで実行しようとする行為そのものが、紛争を起こす元凶になるだけだ(武田智孝氏添削)。

111  

慳惜不救乏  財多為累愚

慳惜(けんじゃく=惜しむ)にして乏しきを救はず、 財多くして累愚を為す。

金もちて をしむこヽろは おのが愚を 人にしらする たねとしらずや

財産をためて、出し惜しみをするのは、自分の愚かさを他人に暴露する事だと知らないのか。

112  

巴歌唱者多  白雪無人和

巴歌(=俗歌)は唱ふるもの多く、 白雪(=琴曲の名)は人の和する無し。

大方に 高きしらべは よそにして きく人もなき 世ぞあはれなる

一般的に、高尚な音楽は回避されて、耳を傾ける人もいなくなってしまう、この世の中は悲しいことだ。

113  

少婦嫁少夫  兩兩相憐態

少婦少夫に嫁げば、 兩兩相憐態す。

おもへ人 たゞなにごとも よの中は そのほど/\に なすぞよろしき

皆に聞いて欲しいことだが、世の中は何事についても、ほどほどにすることが肝要だ。

皆に聞いて欲しいことだが、世の中は何事についても、めいめい身の程に応じてすることが肝要だ(武田智孝氏添削)。 

114  

未能得官職  不解秉耒耜

未だ官職を得ること能はず。 耒耜(らいし)を秉(と)ることを解せず。

おのがえし ざえをたのみて 終に身も 世にすてらるヽ その人あはれ

自分が身に付けた才能を、頼りに暮らしてきたのに、終末を迎えると相手にされなくなるような人は気の毒だ。

115  

旭日銜青嶂  晴雲洗緑潭

旭日青嶂を銜(ふく)み、 晴雲緑潭を洗ふ。

いづる日の かげもにほいて 山川の みどりの苔を あらふすゞしさ

日が昇り、影も見られるようになり、山川の青々とした苔に差し込む光は、何と涼しげなことだろう。

日が昇り、光も見られるようになり、山川の青々とした苔に差し込むその光は、何と涼しげなことだろう(武田智孝氏添削)。

116  

上為桃李徑  下作蘭孫渚

上は桃李の徑を為し、 下は蘭孫の渚(しょ)を作す。
注) 「」の正字は草冠が加わる。

みる人は みな立よりて めでつべし はなさく春の きよきながめは

桜の花の咲く春の、すがすがしい眺めを見る人は皆、立寄ってその美しさを味わうべきだ。

117  

寄語陶朱公  富與君相似

語を寄す陶朱公、 富は君と相似たり。

世の為に すつるたからは あつめても 身のつみとがと いふ人もなし

世の中のために、投げ出してしまう財産については、これまで集めてきたことに対して、罪だと責めたり非難したりする人はいない。

118  

閑自訪高僧  烟山萬層層

閑(しづか)に自ら高僧を訪ふ。 烟山萬層層。

たづね見る 深山の月の 光こそ よにたぐひなき 影にぞ有りける

険しい奥山に踏み分けて、見る月の光そのものは、他に類を見ない美しい景色だ。

119  

四顧晴空裡  白雲同鶴蜚

四顧晴空の裡、 白雲鶴と蜚(と)ぶ。

はれわたる 空のみどりに とぶつるの 色はさながら 雪にまがへり

晴れ渡った青空に飛んでいる鶴の姿は、まるで雪のように見間違えてしまう。

120  

不識本真性  與道轉懸遠

本真の性を識らず、 道と轉(うた=転)た懸遠(けんのん)なり。

月と日の とほき光は おのが身に おなし影とは たれか見るべき

月や太陽の遠くに見える光は、自分の身に降りかかる、同じ光だとは誰が見るであろうか。

121  

好好善思量  思量知軌則

好好善く思量せよ、 思量せば軌則を知らん。

家もなく 身もなきものと さとりなば 玉のうてなも 慕はじものを

住む家もなく、社会的な地位もない者と自覚していれば、美しい高殿も欲しいとは思わないだろうに。

122  

之子何惶惶  卜居須自審

之の子何ぞ惶惶(こうこう=おそれる)たる。 居を卜(と=共にする)せば須らく自ら審にすべし。

百敷の 家もかひなし みがきなす こヽろのひかり ゆたかならずば

修練して、豊かな心にしなければ、宮中のような立派な住まいに暮らしても、何の意味もない。

123  

應是別多年  鬢毛非舊色

應に是れ別れて多年なるべし。 鬢毛舊色の非ず。

年月を よそにわかれて 逢見れば もとのすがたの かはるのみかは

どれだけの年月が経過したかは別として、別れてから再会して気が付くことは、姿かたちが変わってしまっただけではない筈だ。

どれだけの年月が経過したかは別として、別れてから再会して気が付くことは、姿かたちだけでなく心も考え方も変わってしまったことだ (武田智孝氏添削)。

124  

自身病始可  又為子孫愁

自身の病は始めて可なり、 又た子孫の為に愁ふ。

此世にて 道をきかずば 終にまた のちの世かけて うきをのこさむ

生きている内に、道理を教えて貰わないと、最後には来世にまでも憂いを残してしまうであろう。

生きている内に、道理を教えて貰わないと、最後には来世にまでも悔いを残してしまうであろう(武田智孝氏添削)。

125  

子細推尋著  茫然一場愁

子細に推尋著(すゐじんぢゃく)すれば、 茫然たる一場の愁のみ。

おのが身を をさめぬのみか 世の益も なさずくちゆく 人あはれなり

自分の行為を自制できないのみならず、世の中のために尽力することもしないで、死んでゆく人は気の毒なことだ。

自分の行動を正しく修めるよう尽力しないで、死んで行く人は気の毒なことだ(武田智孝氏添削)。

126  

觀者滿路傍  個是誰家子

觀る者路傍に滿つ、 個は是れ誰(た)が家の子ぞ。

うらやまし 富みまづしきも 身にもちて 生れいでたる 人のたからは

裕福な人も貧しい人も、生まれてきたときから、それなりに自分の身に付けている、その宝は羨ましい限りだ。

金銭面で貧しくとも、生まれつき身に着いた尊い心映えは、羨むに足るものだ(武田智孝氏訳)。

127  

唯知打大臠  除此百無能

唯だ大臠(れん=切り身の肉)を打つことを知る。 此を除いては百無能。

世にいでヽ 人とうまれし かひぞなき ものヽ命を ころすばかりは

動物や植物の命を、むやみに奪ってしまうような人は、人間として生まれ出たこと自体が無駄であったといえる。

128  

本在心莫邪  心邪喪本命

本(もと)在るは心に邪なければなり。 心邪なれば本命を喪ふ。
注) 本在云々。本とは身。心は本来邪なし。心に邪なきが故にこの身あるなり。本命とは、法身の慧命、天地の明命。

心だに うごかざりせは 世の中の ちりにまじるも いとはましやは

せめて、心だけでも安定していれば、世の中の醜さに遭遇することも、決して嫌なことではない。

129  

仲翁自身亡  能無一人哭

仲翁自身亡ずるときは、 能く一人の哭(こく=大声で泣く)する無し。

たのまじな 百千の人は あつめても まことなければ なきにまされり

多くの人々を集めてみても、その人々に真理が伴っていなければ、全く意味がないので、それはやめた方が良い。

人をたくさん集めても彼らに誠の心(誠意)がなければいない方がまし、頼みにならないので、それは止めた方が良い(武田智孝氏添削)。

130  

楊修見幼婦  一覽便知妙

楊修は幼婦を見、 一覽して便(すなわ)ち妙を知る。

妙をしる まなこなければ 世の中に 知己すくなしと 君やうらみむ

優れていることを知ろうとする、素直で真面目な心がないと、世の中には、自分のことを、よく理解してくれている人が少ないと、君は不満に思うであろう。

優れたところを見抜く眼力がないので、世の中に友人がいないなどと、君は不満を託つて(かこって=ぐちをこぼして)いるのではないのか(武田智孝氏訳)。

131  

衣單為舞穿  酒盡縁歌倅

衣は單(ひとへ)にして舞の為に穿(うが)つ。  酒は盡(ことごとく)歌に縁って倅(な)む
注) 「」の正字は人扁を口扁に置き換える。嘗める。

經をうり ほとけを賣りて 市町の にぎはひくさと なすがかしこさ

経典を売り、仏像を売ることによって、町なかの賑わいの元を作るのは、何と賢いことであろう。

経典を売り、仏像を売ることによって、町なかの賑わいの元を作ろうとするのは、恐れ多くもったいないことだ(武田智孝氏添削)。

132  

塚破壓黄腸  棺穿露白骨

塚破れて黄腸(こうちょう)を壓(=圧)し、 棺穿(うが)ちて白骨を露(あらは)す。

雨風に うづみし骨も あらはれて みるもなみだの たねとなりつヽ

埋葬されていた骨が風雨にさらされ、地表に現れてきたのを見るのは、本当に涙をさそうものだ。

133  

手中無寸刃  爭不懼懾懾

手中に寸刃無くんば、 爭(いか)でか懼(おそ)れて懾懾(せふせふ=おそれる)たらざん。

身にもてる つるぎの光 くもりなば みやまの奥に いかですむべき

自分自身に備わっている判断力に、わだかまりや後ろめたさが出て来たならば、深い奥山にどうして住むことができようか。

134  

未能捨流俗  所以相追訪

未だ能く流俗を捨つること能はず。 所以(ゆゑ)に相追訪す。

なき人を 今日も送りて おろかにも なほすてがたき 世にぞ住みぬる

死んでしまった人を今日も見送って、未熟なことに、未だに捨てがたい気持ちで、この世に住み続けている自分が情けない。

135  

雖云一百年  豈滿三萬日

一百年と云うと雖も、 豈に(あに=どうして)三萬日に滿たんや。

百とせも 夢のたゞちに すぐる身を しらでくるしむ 人あはれなり

長い年月にわたり、夢を抱いてはすぐ覚めることを繰り返している事実を知らずに、いまだに苦しんでいる人は情けない限りだ。

「邯鄲の枕」の古事のごとく、人の世の栄枯盛衰のはかなさを知らずに、苦しんでいる人は、気の毒なことだ(武田智孝氏添削)。

136  

山腰雲縵縵  谷口風叟叟

山腰雲縵縵。 谷口風叟叟(しつしう)
注) 「縵縵」 ひろくして果てしなき貌。 「叟叟」 風の貌。 「の正字は「風扁に叟」。

さく花も 雲もきえ行く 山風に はかなき夢の さめぬ身ぞうき

山から吹き降ろす風によって、今迄咲いていた桜の花も雲さえも、消えてゆくというのに、自分の頼りない夢が、なぜか醒めないのは、心を悩ませるものだ。

137  

長漂如汎萍  不息似悲蓬

長く漂(ただよ)うて汎萍(はんぺい=うきぐさ)の如く、 息まざること悲蓬(乱れ広がるアブラムシ)に似たり
注)「」の正字は心の代わりに虫(=アブラムシ)

立さわぐ こヽろの浪に おぼれつヽ おひはつれども やむ時ぞなき

心の平静が失われ、落ち着きがなくなってしまう状況は、年をとって衰えてきた今でも、何度も体験し続けている。

心の平静が失われ、落ち着きがなくなってしまう状況、つまり煩悩は、年をとって衰えてきた今でも、已むことがないものだなあ(武田智孝氏添削)。

138  

嘉善矜不能  仁徒方得所

善を嘉(よみ)して不能を矜(あはれ)なば、 仁の徒と方に所を得ん。

おのれだに 直く清くば 人の世の すみにごるをば 何かいふへき

せめて自分だけでも、何もせず清廉潔白であれば、人が住んでいる世の中が平穏であったり、乱世であったりすることは、どうでも良いことだ。

せめて自分だけでも清廉潔白であれば、澄み濁る世の中が平穏であったり、乱世であったりすることは、どうでも良いことだ(武田智孝氏添削)。

139  

俗薄眞成薄  人心個不同

俗薄くして眞に薄きを成す。 人の心は個(こ)れ同じからず。

うすくなる 人のこヽろに くらぶれば 紙もあつしと いふべかりけり

段々と薄情になってゆく人の心と比べれば、薄っぺらな紙でさえも厚いというべきであった。

140  

汝今既飽暖  見我不分張

汝今既に飽暖にして、 我を見て分張せず。

わかでたゞ まづしかりつる 身のうさを あたヽかに着て おもひしりなば

自分は充分に暖かい着物を身に付けているとわかっているならば、貧しい人にその着物を分け与えよ。

お前はぬくぬくといっぱい着込んでいる身でありながら、貧しくて着るものもなく凍え震えている他人の身を思いやる気持ちがない。憐みの心を持ってほしいものだ(武田智孝氏訳)。

141  

欲伏猟猴心  須聽獅子吼

猟猴(みこう=猿を狩る)の心を伏せんと欲せば、 須らく(すべからく=当然)獅子吼(吠える)を聽くべし。

南無佛の 聲しきヽなば とゞめえぬ ましらごヽろも しづまりぬへし

お経の唱えをしっかり聴いたならば、煩悩や情欲の自制しがたい気持ちも、落ち着くであろう。

142  

極貧忍賣屋  纔富須買田

極めて貧なりとも屋を賣ることを忍べ。 纔(ひたた=わずかに)富まば須らく田を買うべし。

何事も しのびてあしき ものはなし 雨風しのぐ 假のこの身は

雨や風を耐えしのぐ仮住まいのこの身では、何事も我慢をすれば、決して悪い結果にはならない。

143  

月照水澄澄  風吹草獵獵

月照して水澄澄。 風吹きて草獵獵(れうれう)

注) 「獵獵」=風聲の貌

ふく風に 高ねの雪を はらはせて すめるもきよき 水の月かげ

屋根に降り積もった雪を風の力で払い落させて住むのも、心は清水を照らす月の光の如く、清らかになるものだ。

高みにいる権力者は、時代の嵐によって、吹き払われ没落するにまかせておけばよし。我が心は澄んだ水に映る月影のごとく清らかである(武田智孝氏訳)。

144  

皮膚脱落盡  唯有眞實在

皮膚脱落し盡きて、 唯眞實のみ在る有り。

雪霜を しのぎ/\て くつる身に かはらぬものは こヽろなりけり

厳しい自然の雪や霜などを耐え忍んで、朽ち果てるような身であっても、変わらないものは心の豊かさだけである。

145  

常持智慧劍  擬破煩惱賊

常に智慧の劍を持し、 煩惱の賊を破らんと擬す(思案する)。

はらへたゞ おのがこヽろの 雲霧を 智恵の利刀の つるぎかざして

自分の心の内にある煩悩に対しては、大いなる智慧を振り絞って、果敢に攻めて打ち払いなさい。

146  

采藥空求仙  根苗亂挑掘

藥を采つて空しく仙を求め、 根苗亂りに挑掘(てうくつ=掘り起こす)すれども、

いくヽすり 何かもとめむ こヽろだに まことのみちに そむかざりせば

せめて心だけでも、真の道理に背かなければ、様々な薬を求めても、それは決して悪いことではない。

せめて心さえ、真の道に背かなければ、新興宗教や似非道徳の教えなどの色々な薬をどうして求める必要があろうか(武田智孝氏訳)。

147  

失却斑猫兒  老鼠圍飯甕

斑猫兒を失却して、 老鼠飯甕(はんをう=茶碗)を圍(囲)む。

かひなしや まことたゆなば 猫もまた こヽろのねずみ 身をやくらはむ

本当に鼠がいなくなってしまったならば、猫もまた幻の鼠を喰らうのは仕方のないことだ

真の道を失ってしまうと、猫でも心に巣くう邪心によって食い殺されてしまうだろう。悲しい事よ、人間が真の道を見失ってしまうと、身内に巣くう邪心によって、食い殺されてしまうぞ(武田智孝氏訳)。

148  

憶昔少年時  求神願成長

憶ふ昔少年の時、 神に求めて成長せんことを願ひしに、

あはれたゞ 親のまことを ながめつヽ くもりなき世の 色をみるかな

親の言動を眺めながら、善良な世の中を思い描くのは、何と愛おしいことか。

149  

身著空花衣  足躡龜毛履

身には空花(くうげ)の衣を著け、 足には龜毛の履(くつ)を躡(ふ)む。

大空の 月と星とを ながめつヽ くもりなき世の 色をみるかな

大空にまたたく月と星を眺めながら、美しい世の中の景色を想像してみよう。

150  

可貴天然物  獨一無伴侶

貴ぶ可し天然の物、 獨一にして伴侶無し。

われにとひ われにこたへて 知りぬへし たぐひもあらぬ おのがほとけを

他にはない自分だけの大事な仏を信じて、自問自答して結論を導くべきである。

151  

任价千聖現  我有天真佛

任价(さもあらばあれ)千聖現るヽとも、 我に天真佛有り。

注) 「」の正字は旁の二本の縦棒が「小」。

さもあらば あれ世の佛の さまざまも こころひとつの ほかにやはある

世の中に仏様が色々あっても、それならばそれで構わない。自分の心一つのほかに何があるというのだろうか。

ともかくこの世の中に仏が数多おられようと、(真の仏は)自分の心の中にのみおわすのだ(武田智孝氏訳)。

152  

不要求佛果  識取心王主

要(かなら)ずしも佛果を求めざれ。 心王の主を識取せよ。

おのが持つ こヽろのあるじ 有としらば 仏果もほかに もとめざらまし

自分には心の主があると知ったならば、仏道修行の成仏という結果も、他に求める様なことは、しなかっただろうに。

153  

勁挺鐵石心  直取菩提路

勁く(強く)鐵石心を挺(ぬき)んでて、 直ちに菩提の路を取れ。

こヽろだに たゆまざりせば 分けのぼる 菩提のみちも 何かまよはむ

せめて心だけでも油断せずに、修行の道を進んでゆけば、菩提への道も、決して迷うことはないだろう。

心さえ倦まず弛まず、修行の道を進んでゆけば、菩提への道も、決して迷うことはないだろう(武田智孝氏添削)。

154  

寒巖人不到  白雲常靉靆

寒巖人到らず、 白雲常に靉靆(あいたい=雲や霞がたなびいている)。

千萬の 年もかはらじ しらくもの たなびく山の 高きすがたは

白雲がたなびく高山の雄姿は、幾千万の年が経過しても、変わることはないであろう。

155  

獨歩石可履  孤吟籐好攀

獨歩して石履む可し。 孤吟して籐攀(よづ)るに好し。

いはがねに かヽる藤浪 袖ふれて 手折るもたのし 獨りめでつヽ

岩の根に垂れかかる藤の花房に袖が触れて、その花房の美しさに感動しながら、折りとって持つのも楽しいものだ。

156  

不解返思量  與畜何曾異

返つて思量することを解せず。 畜と何ぞ曾つて異らんや。

露しもの きえてあとなき 身のほどを おもひしらずば 人といはめや

露や霜のように融けて消え去って行くような、自分の境遇を知らなければ、人間と言えるだろうか。

157  

日月如逝川  光陰石中火

日月は逝川の如く、 光陰は石中の火。

ゆく水と 過ぐる月日と もろともに のこらぬ身ぞと しらぬおろかさ

流れ去って行く水や、過ぎ去ってゆく月日と同じように、自分も亡くなってしまうという事実を知らないとは何と愚かなことか。

158  

我見世間人  茫茫走路塵

我世間の人を見るに、 茫茫として路塵に走る。

世にすめる 人はしらじな 白雪の いで入るやまの ふかきこヽろを

俗世間に暮らす人々には、真っ白な雪を抱きかかえている山に、深い心があることを知らないでしょう。

俗世間に暮らす人々には、白い雪積もったり消えたりするような高いの、深い心があることを知らないでしょう(武田智孝氏添削)。

159  

不達無為功  損多益少矣

無為の功に達せずんば、 損多くして益少し。

なす事も なくてなしつる いさをこそ まことの道を ふむ人ぞこれ

行うべきこともなく、ただ人生を過してきた、気力の充実した男こそ、真の道を進んできた人と言える。

変な山っ気や色気や野心もなしに立派なことをやってのける人は、真の道を進んできた人と言える(武田智孝氏訳)。

160  

甕裡長無飯  甑中婁生塵

甕裡(をうり)長く飯無く、 甑(そう)中婁塵(ろうじん)を生ず。
注) 「」の正字はこれに、かばね垂れが加わる。

心だに つねにうゑずば 甕(か)の中に つもれるちりも さもあらばあれ

心だけでも常に餓えていなければ、食器の中に積もった塵など、どうであうと構わない。

161  

捺頭遣小心  鞭背令緘口

頭を捺(なで)て小心ならしめよ。 背に鞭(むちうち)て口を緘(つぐ)ましめよ。

品たかく こヽろ正しく をえしなば おとめも人に いとはれはせじ

上品この上もなく、心が誠実な状態で終わったならば、五節の舞姫も決して嫌がられはしない。

品高く、心正しく、しつけを終えれば、若い女子(おなご)というのも、まんざら捨てたものでない(武田智孝氏訳)。

162  

秉志不可卷  須知我匪席

志を秉(と)つて卷く可からず。 須らく我の席に匪(非)ざるを知るべし。

道をしたふ おもいはいかで かはるべき 席にあらぬ こヽろなりせば

もし、片端から勢いよく自分のものにしてゆくような強い心でなかったならば、道を究める思いはどのように変わるべきであろうか。

一所にじっと留まれない逸(はや)る心に駆り立てられているので、道を求める気持ちが変わることはないのだ(武田智孝氏訳)。

163  

無風蘿自動  不霧竹長昏

風無くして蘿(つた)自(おのずか)ら動き、 霧あらずして竹長く昏し。

小篠生ふる みやまの奥は 霧ならで つねにをぐらき みどりをぞみる

小さな笹が生えている深山のその奥は、霧ではなく常に薄暗い新芽の色を見るようだ。

164  焉知松樹下  抱膝冷飃飃

焉ぞ知らん松樹の下、 膝を抱いて冷飃飃(しうしう)たらんとは。

注)「」の正字は票が叟に置き換わる。

苔ふかき み谷のまつの 下かげに あそぶ人こそ いとゆかしけれ

苔が一面に生えている、奥深い谷の松の下で遊ぶような人こそ、大いに気品や情趣を備えた人といえる。

165  

人有精靈物  無字復無文

人に精靈の物有り、 字無く復(ま)た文無し。

文もなく 字もなき人の 御霊こそ いき死もせぬ 實とぞしれ

書物もなく字も読めない人の神霊こそ、生死を超越した本当の真実であると知りなさい。

166  

告千場咽  黄雲四面平

告千場に咽(むせ)び、 黄雲四面に平かなり。

みどりなす 木々の下水 音立てヽ 四方にひゞける 聲ぞしづけき

緑豊かな木々の下に流れている水が、周囲に大きな音を立てて鳴り響く情景は、とても落ち着いて聞くことができるものだ。

緑豊かな木々の下に流れている水が、周囲に大きな音を立てて鳴り響くと、そこにひとしお静けさを感じる(武田智孝氏添削)。

167  

多少天台人  不識寒山子

多少天台の人、 寒山子を識(し)らず。

かぞふれば あまたが中に 我をしる 友はえがたき ひとのよぞこれ

多くの人々の中で、私を知っている友を一つ一つ挙げてみると、それは大変貴重な人材であることに気づく。有難い世の中だ。

数知れぬ人々の中で自分を理解してくれる友人は得がたい、これが人の世だ(武田智孝氏訳)。

168  

狂風吹驀榻  再豎卒難成

狂風吹いて驀榻す(ばくたふ=まっしぐらに腰かけに座る)。 再び豎(た)つること卒(つ)ひに成り難し。

生ふる身も 吹きくる風を こヽろせよ 終にくち行く 家居のみかは

生きているこの身も、吹き付けてくる強風に注意を払えば、最後に朽ち果てて行くのは住居だけであろう。

生きているこの身も、吹き付けてくる強風に注意を払え、強風によって、ついに最後に朽ち果てて行くのは住居だけではないぞ。つまり、おまえもだ(武田智孝氏訳)。

169  

若無阿堵物  不啻冷如霜

若し阿堵物(あとぶつ=銭)無くんば、 啻(た)だ冷きこと霜の如きのみにあらず。

玉をしく 家のさかえも 世にめづる こがねなければ なるよしもなし

富裕が行き届いている家の繁栄も、世間で価値が認められている金貨が無ければどうしようもない。

170  

一日有錢財  浮圖頂上立

一日錢財有ば、 浮圖(ふと=仏陀)頂上にも立たん。

世の中に こがねしもたば ほとけをも 神をまつるも めのまへにして

生きてゆく世の中で、財貨さえ持っていれば、仏や神を祀るのもたやすいことだ。

世の中で、財貨さえ持っていれば、ついついおごりが生じて、仏や神を祀る一歩手前で立ち止まってしまうものだ(武田智孝氏訳)。

171  

君身招罪累  妻子成快活

君が身罪累を招き、 妻子快活を成す。

身につもる 罪をもしらで 魚鳥の にくにあきつヽ たのしとぞする

自分の身に積もり積もった罪に気づかずに、魚や鳥の肉を食べ飽きるまで堪能しながら、それを楽しいと思っている者もいる。

172  

言既有枝葉  心懷便險被

言既に枝葉有るは、 心懷便(すなわ)ち險被(けんぴ)なればなり。

注) 「心懷」=心に思う事。「」の正字は「言扁に皮」。

本根の みちをまもらば 大かたの 草木の枝を 何かいふべき

物事を成り立たせている大本の事柄を守ってさえいれば、枝葉末節の事柄については何でも論評して構わない。

根本の道理(正しい生き方)を間違えなければ、おおかたの枝葉の部分についてはそんなに気にすることはない(武田智孝氏訳)。

173  

二瓶任君看  那個瓶牢實

二瓶君が看るに任す。 那個の瓶か牢實なる。

注) 「」の正字は「缶+并」。「那個」=何れの。

世の中の うそとまことの 二みちは ふみえて來つる 人やしるらむ

世の中の真実と偽りの二つの道理は、その場に身を置いて初めて気が付くものだ。

174  

門外有三車  迎之不肯出

門外に三車有, 之を迎ふれども肯(うけがへ)て出ず。

門の外に 車しなくば 終ふる身を けぶりとなして 消えましものを

門の外に三の車(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗)の助けがなかったら、命が尽きるこの身を煙と共に、今すぐ消えてしまえば良かったものを。

御仏の有難い教え(お経)がなければ、火宅(火事の家)のような世俗を越えたところの浅ましいこの世で、焼け死んで煙となって消えるだけの身であったろうに(武田智孝氏訳)。

175  

有身與無身  是我復非我

有身か無身か。 是れ我か復た我に非ざるか。

ある身ぞと おもへばむなし 我ながら われをわするヽ 心たのしも

自分自身の存在を思うと虚しくなるが、それを忘れて偽りや飾りのない本当の気持ちを楽しもうではないか。

己に捉われ過ぎることは空しい、邪念を捨て無心無我の境地に至れば楽しいですよ(武田智孝氏訳)。

176  

霜凋萎疏葉  波衝枯朽根

霜は萎疏の葉を凋(しぼ)ましめ、 波は枯朽の根を衝(つく)。

ゆきしもに しぼめる木柴 ともすれば よる浪ごとに ねさへくちぬる

雪や霜でしぼんでしまった小さな雑木は、ともすると繰り返し寒さに襲われれば根っこさえも朽ち果ててしまう。

177  

去骨鮮魚膾  兼皮熟肉臉

骨を去る鮮魚の膾(なます)、 皮を兼ぬ熟肉の臉(けん=まぶた)。

魚にあき 肉をくらひて おのが身を こヽろよしといふ 人のおろかさ

魚を食するに飽きて、肉を食べる自分自身を快いとする人間の何と愚かなことよ。

178  

讀書豈免死  讀書豈免貧

書を讀むも豈に(あに=どうして)死を免れんや、 書を讀むに豈に貧を免れんや。

いたづらに 文よむわざは ならえども おのがあるじを しる人ぞなき

がむしゃらに書物を読む術は習っても、自分の師匠がどんな人物であるかを知る人はいない。

いくら、がむしゃらに書物を読んで理屈を理解しても良いが、ほんとうの主人は仏様であり、これを知っている人はいない(武田智孝氏訳)。

179  

日日被刀傷  天生還自有

日日刀傷を被れども、 天生還つて自ら有り。

よし人の あざむくまヽに すておかば つひにはおのが 罪をしらまし

ほかの先生の言いくるめるままに放任しておくと、最後には自分の罪を知ってしまう羽目になる。

たとえ、耳に心地よいお世辞や褒め言葉で、良い気分になったとしても、最後には自らの至らぬところの多い本性に気付いてしまう羽目になる(武田智孝氏訳)。

180  

人身亦如此  閻浮是寄居

人身も亦た此くの如し。 閻浮は是寄居なり。

身をよする しばしのかりの やどりぞと おもへば草の いほぞたのしき

身を寄せる、しばらくの間の仮の宿と思えば、草の庵もまた楽しいものだ。

181  

心中無一事  萬境不能轉

心中一事無ければ、 萬境轉ずること能はず。

こころだに しづかなりせば 住むまヽに 山路も里も 何か分くべき

せめて心だけでも落ち着いていれば、山越えの道であろうと山里であろうと、どこに住んでも、区別をする必要はない。

182  

廻心即是佛  莫向外頭看

廻心(ゑしん=心を改め正しい道にはいる)即ち是れ佛。 外頭(げとう)に向つて看ること莫れ(なかれ=してはいけない)。

ながむべき 花はこヽろの 中にあるを とほくもとめて めづるはかなさ

眺めるべき花は自分の心の中にあるのに、わざわざ遠くまで出掛けて褒めるのは、むなしいことだ。

183  

可畏輪廻苦  往復似翻塵

畏る可し輪廻(りんね)の苦、 往復翻塵(ほんじん=揺れ動く埃)に似たり。

日につくる 報はおのが 身より出て 又かへりくる ものとしらずや

一日に生み出す果報は、自分から出てきて、又引っ込んでしまうものだという事を知らないのか。

毎日、報いとして身に受けているものは、自分の身から出て、また我が身に返ってきたものである。そういう理(ことわり)を心得ておくように(武田智孝氏訳)。

184  

爭似識眞源  一得即永得

爭(いかで)か似ん眞源を識つて、 一得即ち永得ならんには。

みがきえし こヽろの玉の 影こそは ながくくもらぬ 光なりけり

磨き上げて得た心の宝石の輝きこそは、永遠に曇らない光である。

185  

眞佛不肯認  置力枉受困

眞佛を肯て認めず。 力を置きて枉(=曲)げて困を受く。

むねにある おのがこヽろの 佛をば よそにもとめて 何かくるしむ

自分の胸中にある佛をないがしろにして、他に佛を求めて苦しむのはどういう事であろうか。

186  

莫曉石橋路  縁此生悲歎

石橋(しゃくけう)の路を曉(さとる)莫し。 此に縁つて悲歎を生じ、

注) 石橋=天台赤城山上高きこと一万八千丈の上にあり、広さ尺に満たず。

雄こヽろを 振おこさずば いかにして あやうきはしを わたりはつべき

猛々しい心を振い起さないければ、どうやって危ない橋を渡り尽くせるのだろうか。

187  

何曾見好人  豈聞長者語

何ぞ曾(かつ)て好人を見ん。 豈(あ)に(=どうして)長者の語を聞かんや。

よき人を 師としもとめて つかへずば いかでまことの 道をしらまし

能力のある人物を師匠として、自らの支えとしなければ、どうして正しい道を理解できようか。

188  

死生元有命  富貴本由天

死生元(もと)命有り、 富貴本天に由る。

いき死も 富みまづしきも おのづから 身に得るものと 知る人ぞなき

人は生まれて死んだり、裕福になったり貧しくなったりするのは、その人が原因であることを知っている人はいない。

189  

地厚樹扶疎  地薄樹憔悴

地厚うして樹扶疎(ふそ)たり。 地薄うして樹憔悴(しょうすい=痩せ衰える)す。

何事も このことわりに 外ならず くさ木も人も かはらざりけり

すべてはこの道理に他ならない。自然の草木も人間も、これまで何ら変わらなかった。

すべてはこの道理に他ならない。(その点に関しては)自然の草木も人間も、違いは無い(武田智孝氏添削)。

190  

面上兩惡鳥  心中三毒蛇

面上兩惡の鳥。 心中三毒の蛇。

おそろしや 人に生れて むねの中は つねに毒蛇の すみかとおもへば

人に生まれてきたために、胸の中には、いつも毒蛇が住み着いていると思うと、何と恐ろしいことであろうか。

191  

野情多放曠  長伴白雲閑

野情放曠(こう=広々としてなにもない)多く、 長く白雲に伴うて閑なり。

ちりもなし ひとり野山の 雲霧を 友となしつヽ あそぶこヽろは

一人で野山にでかけて、雲や霧を相手にくつろいで、何もしないでいると、晴れやかな気持ちになるものだ。

192  

爲心不了絶  妄想起如烟

心了絶せざるが爲に、 妄想起りて烟の如くなるも、

月はつねに さやけきものを 立木おほふ むねの煙に はるヽ間ぞなき

月は常に光が冴えて明るいのに、邪念が邪魔をして心がもやもやしていれば、その月が晴れて見える時はない。

193  

下望山青際  談玄有白雲

下に山の青際を望めば、 玄を談(かた)るに白雲有り。

大空に そびゆる山の 松風に はらへばきゆる 峯のしら雲

峯にわいていた白雲も、大空にそびえ立つ山から、ひとたび松風が噴き出せば、消え去るものだ。

194  

未讀十卷書  強把雌黄筆

未だ十卷の書を讀まずして、 強いて雌黄の筆を把る。

注) 「雌黄」は鋳物の名で、色は黄赤、写し字の訂正のための絵の具に供す。

得ざるをも えたりといひて とる筆に いよヽはかなき わざぞ見えける

未だ習得していない事柄を、自分は理解したと言って筆を執るのは、益々頼りのないありさまと思える。 

195  

心中無慚愧  破戒違律文

心中慚愧(ぎ=罪を恐れる)無く、 戒を破つて律文(=韻文)に違ふ。

大方の 人を地獄に みちびきて いよ/\つみを つくる法の師

多くの人々を地獄に陥れ、益々罪を重ねてゆく、僧形をした俗人がいる。

196  

煉盡三山鐵  至今靜恬恬

三山の鐵を煉り盡(=尽)して、  今に至つて靜かにして恬恬(てんてん)たり。

注) 「恬恬」とは安静の容姿。

世の人の そしるもほむも おのがなす 心ひとつの ものとさとらば

世間一般の人が、悪く言うのも、褒めてくれるのも、自分の心がけ次第で、どうにでもなるものだ。

毀誉褒貶(きよほうへん=褒めることとけなすこと)は、他人のすること、俺はそんなこと気にしないぞという心意気で行け(武田智孝氏訳)。

197  

今日審思量  自家須榮造

今日審に思量すれば、 自家須らく榮造すべし。

よしあしも 心ひとつに あるものを よその寶を 何かもとめむ

物事の良し悪しも、自分の心の中で判断すべきなのに、なぜか他にその判断を求めようとする。

198  

但自心無事  何處不惺惺

但だ自心無事ならば、 何れの處か惺惺(せいせい=無為、無策)たらざん。

注) 「無事」とは無為、無策と同意。

音もなき 香もなき月を みても知れ 世界くまなく てらす光を

音もなく香もしない月を見て、その月が世界中を照らしている事実に気づきなさい。

『老子』には「道は常に無為にして、而(しか)も為(な)さざる無し。(道はいつでも作為的なことは何も為さないでいて、しかもすべてのことを為している)」というのがあるそうです。「無為」は作為的なことは何も行なわないということ。この歌では「月」が「道」で「音もなき 香もなき」が「無為(作為がない)」ということでしょう(武田智孝氏解説)。

199  

無爲無事人  逍遙冥快樂

無爲無事の人、 逍遙として冥(まこと)に快樂なり。

いき死の 身になき人は おのづから 此世にありて 苦も楽もなし

生や死にこだわらない人は、結果として、この世にあっても苦や楽などとは関係がない事だ。

この歌は生死を超越した悟りの境地のようで、小生のような俗人にはとうてい分かりませんが、「苦も楽もなし」というのは「心平(しんぺい)気和(心平らかに気和す)」心が落ち着いていて、争いを起こす気などまったくない、といった境地を指しているのでしょう。プーチンに教えてあげたいですね(武田智孝氏解説)。

200  

欲知仙丹術  身内元神是

仙丹の術を知らんと欲せば、 身内の元神是れなり。

注) 「仙丹」=長生延命の薬。

雲をふみ 鶴にのるとも かひぞなき 心の神の もとをしらずば

心の中にある神の本質を知らなければ、雲に身をゆだねたり、鶴に乗ったり(とんでもないことを)しても、その効果は現れない。

心の中にある神の根元を知らなければ、雲に身をゆだねたり、鶴に乗ったり(とんでもないことを)しても、その効果は現れない。才気より愚直を貴べ(武田智孝氏添削)。

201  

余郷有一宅  其宅無正主

余が郷に一宅有り、 其の宅に正主(しやうしゆ)無し。

天地の 廣き家居に 主ぞなき こヽろの玉の ひかりしらずば

心の魂が物事をしっかりと見極めないと、世界中のどんなに広い屋敷であっても、主はいないに等しい。

202  

伸頭臨白刃  癡心為克

頭を伸べて白刃に臨み、 癡心克が為なり。

注) 「癡心」はおろかな心。「」は石崇の妓女。

たぐひなき 家居も何か たのむべき まよふ心の 雲しはれずば

比類ないほど立派な住まいでも、心に戸惑いがある限り、そこは何となく当てにならないものだ。

心に濁りや曇りがあったら、どんな立派な御殿のような家だって、何の頼りになるものか(武田智孝氏訳)。

203  

那堪數十年  新舊凋落盡

那(なん)ぞ堪へん數十年。 新舊凋落し盡(ことごと)く。

たのみつる 人皆消えて のこる身の はかなさ知らぬ あはれ世の中

頼みにしていた人達が皆いなくなってしまっても、残された自分が、はかないものと気づかないこの世は、何と寂しい限りだ。

204  

皎然易解事  作麼無精神

皎然として解し易き事、 作麼(なんぞ)精神無からんや。

をしみなく 人にめぐまば つひにまた おのれにかへる ものとこそしれ

惜しむことなく、他人に恵みを施せば、最後には又、自分に帰ってくるものと知りなさい。

頼みにしていた人達が皆いなくなってしまって、独りとり残された自分、その自分もまたいつか消えて行くはかないない身であるのに、それに気づかぬ人達が多いこの世の中は哀れである(武田智孝氏訳)。

205  

水流如急箭  人世若浮萍

水は流れて急箭の如く、 人世は浮萍(ふへう)の若(ごと)し。

かりの世は 夢としりなば 煩悩の 火に身をやける 人もあらじを

無常なこの世は夢だと悟れば、煩悩に煩わされる人もいないだろうに。

206  

碌碌群漢子  萬事由天公

たる(平凡で役に立たない)群漢子、 萬事天公(上帝)に由る。

よしあしも みな天地の なすわざと しらで心に まよふおろかさ

物事の善し悪しは、全て天地の神々のなせる業と知らないで、迷うのは愚かしいことだ。

207  

三車在門外  載尓免飄蓬

三車門外に在り、 尓を載せて飄蓬を免れしめん。

注) 「三車」とは羊・鹿・牛の三車。「」の正字は人扁に、旁は人冠に小。「飄蓬」とはつむじ風でほつれ乱れる意味(無常輪廻)。

すくひ出す 三の車の なかりせば 終に身をさへ やくべきものを

救ってくれる三つの乗物つまり、声聞乗・縁覚乗・菩薩乗がなかったら、最後には焼かれてしまっただろうに。

208  

朝朝無闔栫@ 年年不覺老

闔椁ウく、 年老を覺えず。

一年を やすき日もなく すぐる身の はては地獄と なるぞはかなき

一年を通じて休まる日もなく、過ごす人の行き着くところが地獄とは、何とむなしいことか。

209  

時人尋雲路  雲路杳無蹤

時の人雲路を尋ぬ。 雲路杳(えう=暗くて良くわからない)として(あと)無し。

白雲の はてなき道を たづねなば はやくこヽろの ありかさだめよ

白雲が立ち込めているような、終わりのない道を尋ねるのであれば、できるだけ早く自分の心構えだけは、はっきりとしておきなさい。

210  

時逢林内鳥  相共唱山歌

時に林内の鳥に逢うて、 相共に山歌を唱ふ。

鳥うたひ われこたへつヽ あそぶ身の たのしきこヽろ 人はしらじな

野鳥がさえずり、私がそれに答えて鳴きまねをする。こんな楽しいことを他人は知っているだろうか。いや、知らないだろう。

211  

大海一滴水  吸入其心田

大海は一滴の水、 吸うて其の心田に入る。

大海の はてなき水も もとはたゞ 心の山の したヽりぞこれ

大海原の果てしない水も、元をただせば、身近な山の雫が集積したものだ。

212  

懷歎復懷愁  皆縁義失所

歎を懷(なつかし)き復た愁を懷(なつ)く。 皆義の所を失ふに縁つて、

もとめずも うるべきものを 世にいでヽ 身さへたゞしき 道をまもらば

世の中に出てからは、自分さえ正しい道を守ってゆけば、欲しいものを求めようとしないでも、手に入るものだ。

213  

逐日養殘躯  閑思無所作

日を逐うて殘躯を養ひ、 閑(しづか)に思うて所作無し。

注) 「」の正字は旁の区を區に置き換える。

なす事も なくて日をふる 身とならば 世のうきめをも しらで過ぐべし

やるべきこともなく、毎日を過ごす身分となれば、世の中の辛いことも知らずに生きて行けよう。

214  

一朝福報盡  猶若棲蘆鳥

一朝福報盡くれば、 猶ほ蘆に棲む鳥の若く。

山をなす たからもつひの たきぎぞと おもひしりなば 身の罪もなし

山のようにたまった財産も、最後に死ぬ時には単なる薪だと思い知ったならば、自分に降り掛かった罪もなくなるというものだ。

215  

遠遠望何極  兀兀勢相迎

遠遠として望み何ぞ極らん。 兀兀(ごつごつ=山が高いこと)として勢ひ相迎ふ。

注) 「」の正字はこれに石扁がつく。

高くとも おのがこヽろの かくれ家を しらずば山も かひなからまし

自分の心の置き場所がどこにあるかを気にしなければ、山が高くてもそれは無益ではないでしょうに。

216  

松月冷  雲霞片片起

松月叟叟(しうしう)として冷に、 雲霞片片として起る。

注) の正字は「風扁に叟」

雲かすみ 世をへだてたる 深山路の まつの木間(このま)の 月のさやけさ

雲や霞で俗世からさえぎられ、深い山路に生えている、松の木々の間から見える、月は何とさえて明るいことか。

217  

恰似春日花  朝開夜落爾

恰(あたか)も春日の花に似たり。 朝に開いて夜落つるのみ。

注) 「」の正字は人扁に旁は人冠に小(=然り)。

おもはなむ 聞くと見つると 花の色も よの間にちりて あともなきよを

聞いたり見たりする花の色も、夜の間に散り去って、あとかたもなくなってしまうこの世の事を考えて欲しい。

美しい花でも、一夜にして散り果てて、跡形もなくなってしまう様を見たり聞いたりした、そのことをよく心にとめておこう(武田智孝氏訳)。

218  

下有棲心窟  安定命橋

下に棲心の窟有り、 に定命(ぢやうみやう)の橋を安んず。

身をみとも さらにおもはぬ 佛のみ みやすく行かふ はしぞこの橋

自分の体を自分自身だと、一向に思わない仏だけが、判りやすく簡単に行き着ける先はこの橋だ。

穢れた身体的欲望から解放され、悟りを開いた人だけが、いともた易く行き来できる橋、それは聖俗を分け隔てる橋であるよ(武田智孝氏訳)。

219  

我自觀心地  蓮華出淤泥

我自ら心地を觀るに、 蓮華淤泥(おでい=泥)を出づ。

にごる水も 心すみなば 華はちす にほひいづべき ものとしらなむ

心配や邪念がなければ、蓮の花のように、濁った水でも良い香りを放つものだと知ってほしい。

心配や邪念がなければ、濁った水でも蓮の花のように、良い香りを放つものだと知ってほしい(武田智孝氏添削)。

220  

隱士遁人間  多向山中眠

隱士人間(じんかん)を遁(のが=逃)れて、 多く山中に向つて眠る。

松の風 谷のながれも こヽろだに すなばきヽても しづかならまし

松の間を吹き抜ける強風や、谷川を流れる激しい水音などを聞いても、心に澄んだ気持ちがあれば、それは静かに思えるものだ。

221  

老鼠入飯瓮  雖飽難出頭

老鼠飯瓮(をう=瓶)に入れば、 飽くと雖(いえど)も出頭し難し。

かぎりなき 心のよくに あかずして 終には身をも ころすおろかさ

際限のない私欲に明け暮れて、最後には身を滅ぼしてしまう愚かさよ。

222  

自從出家後  漸得養生趣

家を出でてより後、 漸く生を養ふ趣を得たり。

家をいでヽ 山に入らずは いかにして ほとけの道を ふみぞ分くへき

家を去って山に隠遁して修行せずに、どうして仏道に開眼することができようか。

出家して寺院(比叡山)に入り修行しなければ、どうして仏道に開眼することができようか(武田智孝氏添削)。

223  

四時周變易  八節急如流

四時周りて變易(へんやく=変更)し、 八節急にして流るヽが如し。

水よりも はやくながるヽ 月日ぞと しらで老ゆく 身ぞあはれなる

時の流れは、水の流れよりも早いことを知らずに、老いて行く姿は何とあわれなことよ。

224  

伴黨六箇賊  劫掠法財珠

伴黨六箇の賊、 法財の珠を劫掠(ごうりゃく=略奪)す。

身にすめる 五欲の袖を はらひなば 世にあるほども やすく過ぐべし

人間に潜んでいる色・声・香・味・触の五境に対して起こす情欲を払い去ると、世渡りも安穏に過ごすことができる。

225  

茂陵與驪獄  今日草茫茫

茂陵と驪獄(りがく)と、 今日草茫茫たり

注) 「茂陵」=武漢の稜。「驪獄」=麗戒の山。

忘るなよ 花のうてなも こヽろより 草野の原と なりしためしを

花一面の高台も見方によっては、雑草の生えた野原となってしまった例を決して忘れてはならない。

花一面の高台も気を緩めると、雑草の生えた野原となってしまった例を決して忘れてはならない(武田智孝氏添削)。

226  

國清寺中人  盡道寒山癡

國清寺中の人、 盡く道(い)ふ寒山癡(痴)なりと。

知らぬこそ おろかなりけれ わらふ人 わらはるヽ人 ともになき身と

笑う人も笑われる人も、共にこの世には、もういないという事実を知らないのは愚かしいことだ。

笑う人も笑われる人も、共にこの世では明日をも知れぬはかない身であることを知らないのは愚かしいことだ(武田智孝氏添削)。

227  

驢屎比麝香  苦哉佛陀耶

驢屎(ろし=ろばの糞)を麝香(じゃこう=香料の一種)に比す。 苦なる哉佛陀耶(=父)。

身のために 佛をおもふ はかなさは 鳥や蟲にも をとりはてけり

自分の保身のために、仏教を心がけるような、頼りないことは、鳥や虫けらにも劣っている。

228  

白雲高岫閑  青嶂孤猿嘯

白雲高岫(かうしう=山の洞穴)閑にして、 青嶂(峯)に孤猿嘯く。

しら雲の たな引く山に ましらなく 聲にこヽろの 玉ぞすみぬる

白雲が立ち込めている奥山に猿の鳴き声を聞いていると、心が洗われ裕福な気持ちになる。

白雲が立ち込めている奥山に猿の鳴き声を聞いていると、その声に心の魂が洗われ、裕福な気持ちになる(武田智孝氏添削)。

229  

因指見其月  月是心樞要

指に因つて其の月を見れば、 月は是心の樞要(すうよう=最も大切な所)

大そらの 月もこヽろの ひかりぞと おもひしりなば うき雲もなし

大空に浮かんでいる月は、心のなかの光だと思ったならば、心を悩ますような雲は無いに等しい。

230  

萬機倶泯迹  方識本來人

萬機倶に迹に泯(くらま)すも、 方に識る本來の人。

塵もなき 水のかゞみに すむ月の ひかりぞおのが あるじなりける

ちり一つない水面に映し出された月の光こそ自分の主人である。

231

元非隱逸士  自號山林人

元(もと)隱逸の士に非ずして、 自ら山林の人と號す。

山ふかく 世はのがれても かくれえぬ 心のさるを いかにしてまし

山奥深く逃げ込んで来ても、消え去ることのない心の傷は、どのようにしたものだろうか

山奥深く逃げ込んで来ても、消え去ることのないこの心の煩悩は、どのようにしたものだろうか(武田智孝氏添削)。

232

生而還復死  盡變作灰塵

生れて還つて復た死す。 盡く(ことごとく)變じて灰塵と作る。

ありと見し 人もなき世と 成ゆくを しらで迷ふも おろかならずや

生きていると思い込んでいた人が、死んでゆくのを知らないで、どうしているだろうかと、思い迷う事も愚かしいことではないだろうに。

現世の無情なることを知らずに、思い迷うのは愚なことではないか(武田智孝氏訳)。

233

白雲朝影靜  明月夜光浮

白雲朝影靜に、 明月夜光浮ぶ。

あしたには 雲とおきふす 山かげの ゆふべの月の 影のしづけさ

朝には雲と共に起き、また寝て、山にさえぎられてゆく夕暮れの月影が、何と静かなことか。

雲がかかるほど奥深い山の中で暮らすというような棲家から見る、夕月が何と清(さや)けきことだろうか(武田智孝氏訳)。

234

白日游青山  夜歸巖下睡

白日には青山に游び、 夜は巖下(大きな岩の下)に歸りて睡る。

たのしさは かぎりもあらじ 明けば出て くるればかへる 深山べの庵

日が昇れば外出し、暮れればまた帰る、山深い庵の生活の楽しさは、際限がなく続いている。

235

勉尓信余言  識取衣中寶

勉めよ尓(なんぢ)余(わ)が言を信じ、 衣中の寶を識取せよ。

注) 「(なんじ)」の正字は人偏に人の下に小。

おろかなり 身にそふ玉を しらずして よそにもとむる 世の中の人

自分の身に備わっている宝を知らずに、他にそれを求める世の中の人たちは、何と愚かしいことよ。

236

出家弊己身  誑俗將為道

出家して己が身を弊(やぶ)り、 俗を誑(いつは)つて將(も)つて道と為す。

世の人を さとす身にして よの人に さとされて過す すみぞめの袖

世の中の人に、道理を教え導く立場にありながら、逆に世の中の人から教えられて過ごす僧侶はいるものだ。

237

獨坐無人知  孤月照寒泉

獨坐人の知無く、 孤月寒泉を照す。

すみわたる み空の月を 水の上に うつしてむかふ 影のきよけさ

澄み渡った大空に浮かぶ月が、水面に映しだされて見える姿は、何と清らかなことか。

238

有箇王秀才  笑我詩多失

箇の王秀才有り、 我が詩の失多きを笑ふ。

言の葉は よしつたなくも 歌ひいづる 心のしらべ とヽのほりなば

言葉そのものが、たとえ拙くても、歌いだす心の調子が整っていれば、それでよい。

239

我住在村郷  無爺亦無嬢

我住して村郷に在り、 爺(ちヽ)無く亦た嬢(はヽ)も無し。

身にまとふ 妻子もなくて いかばかり 涼しく世をば 君過しけむ

身近に妻子もいない状態で、あなたはどれだけさっぱりして、さわやかに暮らしてゆけるというのだ。

240

順情生喜ス  逆意多瞋恨

情に順へば喜スを生じ、 意に逆へば瞋(=いきどおる)恨多し。

夢のうちの ゆめともしらで いける身の うきうれしさに まよふもろ人

夢を見て、それが夢とは判らずに生きてゆくことで、多くの人々が、心を悩ましたり喜びに溢れたりして、惑わされるものだ。

人生は夢の中でまた夢を見ているようなもの、それを知らないで些細なことに一喜一憂して生き惑う、それが衆生の姿だ(武田智孝氏訳)。

241

我見人轉經  依佗言語會

我人の經を轉ずるを見るに、 佗の言語に依つて會す。

こヽろにも あらで口にて よむ經は 功徳もさらに なしとしらずや

うわの空で棒読みするお経は、功徳なんぞ一向に得ることはできない、という事を知らないのか。

242

自羨幽居樂  長為象外人

自ら幽居の樂を羨(ねが)ひ、 長く象外の人と為らん。

いかにして 道の外には 遊ばまし 心の山の おくに入らずば

積もる思いや奥深い心の境地に入らなければ、どのようにして仏の教えに背いてまでも、もてあそぼうと言うのか。

どうして道を外れた楽しみになど耽っておれようか、瞑想して悟りを得る努力をしなくては!(武田智孝氏訳)。

243

繋之在華堂  肴膳極肥好

之を繋ぎて華堂(花のように美しい堂)に在(お)けば、 肴膳(かうぜん)極めて肥好なれども、

注) 「肴」の正字は食扁がつく。膳」の正字は月扁の代わりに食扁

鹿ならぬ 人もえじきに つながれて 地獄のたねを まくぞはかなき

鹿のように、人間も衣服や食物の資源として拘束され、悪事が犯されるのは、何とむなしいことであろうか。

獣が餌を漁るように人間が欲に駆られて富や名誉を追い求め、堕地獄の罪を重ねることの空しさよ(武田智孝氏訳)。

244

花上黄鶯子  棺棺聲可怜

花上の黄鶯子(鶯の巣立ちの子)、 棺棺として聲怜(あわれ)む可し。

注) 「棺の正字は木扁の代わりに口扁

花鳥の 春もむなしく 過ぎはてヽ もみづる秋の あはれしらずや

花や鳥たちが活気あふれる春が、はかなくも過ぎ去った後に、草木が色付く秋の、しみじみとした風情を、彼らは知らないのだろうか。

245

當陽擁裘坐  閑讀古人詩

陽に當つて裘を擁して坐し、 閑に古人の詩を讀む。

朝日影 てらす草葉を しとねにて よむもたのしき 古へのふみ

朝日が照らされている草葉を敷物にして、昔の書物を読むのは、何と楽しいことであろうか。

246

為報後來子  何不讀古言

為に後來の子に報ず。 何ぞ古言を讀まざる。

あたら世を 過すなよ人 いにしへを たづねて今を しるべかりけり

むなしく過ぎるには惜しいこの世の中を見過ごしてはならない。昔を探求して今を理解すべきだ。

せっかくの大切なこの世の時間を無駄にすごしてはならない、古の教えや歴史を学んで新しい道理や知識を得る努力をしなさい(武田智孝氏訳)。

247

徑窄衣難進  苔黏粘履不前

徑窄(みちすぼ)くして衣進難く、 苔黏(ねば)くして履(=靴)前(すす)まず。

越えがたき み山の道を 分こずば 雲にふすべき たのしみもなし

超えるには厳しいこの山奥をかき分けて来ない限り、雲に乗るような楽しさも得ることはできない

超えるには厳しいこの山奥をかき分けて来ない限り、雲がかかる奥深い山の中で生活する楽しさも得ることはできない(武田智孝氏添削)。

248

心意不生時  内外無餘事

心意不生の時、 内外(ないげ)餘事無し。

世にまよふ こゝろしなくば いかばかり のどかに身をば すぐさむものを

世の中での生きざまに、迷うようなことさえなければ、どれほど平穏に暮らせるだろうか。

249

君看葉裡花  能得幾時好

君看よ葉裡(うら)の花、 能く幾時の好をか得ん。

さくと見る 花もいつしか ちりはてゝ もとのあくたに なるとしらずや

花が咲くと、喜んで眺めるが、その花も散ってしまえば、ただの塵になってしまう事実を知らないのか。良いとこ取りばかりしていると、物事の本質を見失ってしまう。

花が咲くと、喜んで眺めるが、その花も散ってしまえば、ただの塵になってしまう事実を知らないのか(武田智孝氏添削)。

250

善根今未種  何日見生芽

善根今未だ種ゑずんば、 何れの日か芽を生ずるを見ん。

花さかむ 春をしまたば かねてより 手によき土を つむべかりけり

春に花が咲くのを心待ちにするのであれば、前もって良く肥えた土を用意すべきであった。何事も、良い結果を期待するのであれば、予めしっかり準備をすべきだ。

251

今日歸寒山  枕流兼洗耳

今日寒山に歸り、 流に枕し兼ねて耳を洗はん。

山ふかく 今日かへり来て よの塵に けがれし耳を あらふすゞしさ

今日、山奥に帰ってきて、世の中の煩悩から汚されてしまった耳を洗うのは、何とすがすがしいことか。

今日、山奥に帰ってきて、世の中の煩わしい雑事や俗事から逃れるのは、何とすがすがしいことか(武田智孝氏添削)。

252

寂寂好安居  空空離譏誚

寂寂として安居(あんご)に好く、 空空として譏誚(ぎせう=とがめてせめること)を離る。

いづこにも 此身はいでじ 静なる この山かげに しくところなし

この静寂な山容に匹敵するような好ましい場所はないので、決して外には移らない積りだ。

253

自古多少賢  盡在青山脚

古より多少の賢、 盡(尽=ことごと)く青山の脚(ふもと)にあり。

注) 「青山」とは墳墓の意味。

思はなむ 代々のひじりも 世の塵を のがれて山に すみしためしを

何代も続いている高徳の僧たちも、世の中の煩悩から逃れるために、山奥に住んだ先例を、決して忘れはしない。

何代も続いている高徳の僧たちも、世の中の煩わしい雑事や俗事から逃れるために、山奥に住んだ先例を、決して忘れはしない(武田智孝氏添削)。

254

有人笑我詩  我詩合典雅

人有り我詩を笑ふ。 我が詩典雅に合(かな)ふ。

あはれしる 人なき世には 月花の まことのみちも かひなかりけり

しみじみとした風情が理解できないような人々がいるこの世の中では、月や花の神髄など、どうでもよいことだ。

花鳥風月を詠んだ美しい詩歌も、もののあわれを知る人のいない世では甲斐無きことである(武田智孝氏訳)。

255

都來六百首  一例書巖石

て六百首。 一例して巖石(岩石)に書す。

後の世の 人の為にと かきのこす ことばの花は 千代もにほへり

後世の人々のためを思い、書き残した言葉の重みは、永遠に残るものだ。

後世の人々のためを思い、書き残した美しい言葉、つまり詩歌は、永遠に残るものだ(武田智孝氏添削)。

256

一選嘉名喧宇宙  五言詩句越諸人

一たび選ばれて嘉名宇宙に喧し(かまびすし=やかましい)。 五言の詩句諸人に越ゆ。

散りはてヽ 後こそしらめ 匂ふとも みもなき花は かひなかりしと

匂いが残っていても、結実しない花は無駄であったと、散り去ってはじめて知ることになるだろう。

257

但看陽炎浮吐水  便覺無常敗壞人

但看陽炎浮吐水、 便覺無常敗壞人。

注) 「」は旧字。「陽炎」はかげろふ。 「」は旧字。「浮吐」は泡の意。

かげろふの たつかと見れば 消ゆる世を しらで空しく 過るはかなさ

かげろうが立ち上ると思えば、消え去って行く、この自然豊かな世の中を知らずに、無駄に過すのは何と浅はかな事だろう。

陽炎が立つかと見ればすぐに消えてしまう、そのようにはかない世の中であることを知らないで、むざむざと浮かれて過すのは何と浅はかな事だろう(武田智孝氏訳)。

258

直待斬首作兩段  方知自身奴賊物

直に斬首兩段と作るを待つて、 方に知らん自身奴賊物なることを。

身はきえて 消えぬこヽろの 玉をはや 世にあるほどに みがきおかなむ

自分が死んでしまっても、決して消えたりはしない心の魂を、生きているうちに、念入りに手入れをして、美しくしておきたいものだ。

259

可歎往年與今日  無心還似水東流

歎ず可し往年と今日と、 無心にして還つて水の東流するに似たり。

ながれ行く 月日ぞはやき 夢の間に かしらの雪の つもるおもへば

頭に白髪が増えてきたことを考えると、月日の流れはとてつもなく早く、夢の間のようだ。

260

閑於石室題詩句  任運還同不繋舟

閑に石室に詩句を題すれば、 任運に還つて不繋の舟に同じ。

わがこヽろ つながぬ船の こヽちして 過ぐる月日ぞ たのしかりける

自分の心は係留されていない船のようだ、と感じて日々を送るのは本当に楽しいものだ。

261

無因畫得志公師

志公師を畫き得るに因(よ)し無し。

うつしゑも 可否やなからむ 身にもてる おのが心の 玉をもたずば

自分の心の中にある美しさがなければ、写生画の良し悪しの判断もできないであろう。

262

心地調和倚石頭

心地調和して石頭に倚(=寄)る。

こヽろだに とヽのほりなば 人とはぬ 深山の奥も みやこならまし

せめて心だけでも調和がとれていれば、人が訪ねることのないような、深山の奥もそこが都と思えるであろう。

263

一住寒山萬事休  更無雑念挂心頭

一たび寒山に住して萬事休す。 更に雑念の心頭に挂(かかる)無し。

山ふかく 入りにし日より わがこヽろ たゞ雲水に まかせてぞすむ

奥山に入り、隠遁生活を送り始めたその日から、自分の心は行く雲や流れる水に身をゆだねて住んでいるよ。

264

不識心中無價寶  猶似盲驢信脚行

心中無價の寶を識らざれば、 猶ほ盲驢の脚に信(まか)せて行くがごとし。

あたひなき 玉のあるじと 身をしらで 生死のうみに しづむはかなさ

この上もなく貴い宝の持ち主である自分を理解できずに、生死の境をさまよったあげく死んでしまうとは、何と儚いことよ。

自分がこの上なく貴い宝の持ち主であることを自覚しないで、様々の欲に溺れる人生を送るとは、何と空しいことか(武田智孝氏訳)。

265

布裘擁質隨縁過  豈羨人間巧樣模

布裘質に擁して縁に隨つて過ぐ。 豈に(あに=どうして)人間の巧樣模を羨まんや。

人の身は しばしの夢ぞ 何事も えにしひとつに すくべかりける

人生なんぞうたかたの夢のようなもので、何事も縁を頼って助けを求めるべきだった。

266

明月清風是我家

明月清風是れ我が家。

にごる世も 月と水とを 友として すぐる家居は ちりもなきかな

けがれた世の中でも、月と水、すなわち自然に絶えず接して過せば、自分の家はちり一つない清らかな住まいとなるだろう。

267

賈客却歸門内去  明珠元在我心頭

賈(こ=商人)客(こかく)却つて門内に歸り去れば、 明珠(貴重な人物)は元我が心頭に在り。

しらずして 何海山を たづねらむ たからはおのが 心なるものを

貴重な財産は、自分自身の心の中にあるのに、それを知らずに何故あちこち多くの地を訪ね歩き、宝を求めようというのであろうか。

268

圓滿光華不磨瑩  挂在青天是我心

圓滿なる光華(くわうげ=美しい光)磨瑩(まえい)せず、 挂り(=掛け)て青天に在れども是れ我が心。

夜をてらす 月の光も たづぬれは おのがこヽろの うちに澄みけり

夜を明るく照らす月の光源はどこだろうかと探し求めたら、自分の心の中に、はっきり見えていた。

269

不勞尋討問西東

勞せず尋討して西東を問ふことを。

常にすむ こヽろの月の ゆく末を よそにたづねて 何もとむらむ

いつも澄んだ状態で心の中に宿る月なのに、その行き着くところはどこだろうかと探し回って、何を求めようというのであろうか。

270

埋在五陰溺身躯

埋んで五陰(ごおん)に在つて身躯に溺る。

注) 「」の正字は、旁が「區」

月と日の ひかりもおのが こヽろより くまなくてらす ものとしらずや

月や太陽の光も本を正せば、自分の心の中で隅々まで行き届いて照らしているものだと知らないのであろうか。

271

解用無方處處圓

用ふることを解(げ)すれば無方にして處處圓(まどか)なり。

こヽろして 照さゞりせば 月と日の ひかりもくまは あるべきものを

充分に気を配って太陽や月の光の照り具合を見ないと、そこに濃淡があることを見逃してしまう。

月や太陽でも注意深く照らすことを怠れば、その光に隈(陰り)が生じてしまうだろう(武田智孝氏訳)。

272

悠悠世事何須覓

悠悠たる世事何ぞ覓む(とむ=求)るを須(もち)ひん。

世の中の 事をもとめて 何かせむ 身を雲水に まかせたらなむ

思うがままに遍歴までして、世の中の出来事を追及して、どうしようとするのであろうか。

273

遂招遷謝逐迷邪

遂に遷謝を招いて迷邪を逐ふ。

注) 「遷謝」=うつりかはり。「」=退き去る。

一すぢに まことの道を まもりなば つひにはるべし 月かくす雲

うそや偽りのない正しい道を、心を傾けて守り通せば、最後には月を隠していた雲が晴れる時が来るであろう。最後には悟りの境地に至るであろう。

274

逍遥快楽寶善哉

逍遥快楽寶に善哉(かな)。

雲水に 身をまかせつヽ あそぶこそ この世ながらの ほとけなりけり

諸国を行脚して修行をすれば、世俗の事などを気にして、何かをやろうとする様な気持ちには決してならない。

275

碧落千山萬仞現

碧落千山萬仞(じん=高さや深さの単位)に現る。

いづる雲を 麓になして そびえ立つ 高根は外に たぐひやはある

わき出る雲を麓に見て、そびえ立っている高い山の頂上は、他に類のない素晴らしいところだ。

雲が行き、水が流れてやまないように、定めなく一所にとどまらない自由な生き様は、この世にありながら既に仏の境地である(武田智孝氏訳)。

276

山水不移人自老

山水移らず人自ら老ゆ。

いくよろず みやまに年を 重ね來て われより後の 人おくりけむ

多くの歳月をこの人里離れた深山で生活しているうちに、いつの間にか自分よりあとから生まれた人々が、先立たれたのであろうか。

277

黄葉落  白雲掃

黄葉落ちて 白雲掃ふ(=払う)。

もみじ散る み山の奥の あはれさを よはしらくもの 我のみぞ見る

紅葉が散ってしまった深山の奥に、白雲がわずかに残っている風情を、しみじみと独り占めして楽しんでいるよ。

白雲のかかるような山奥で紅葉が散る、そのえも言えぬ風情を世の人々は知らないだろうが、私は知っている(武田智孝氏訳)。

278

日出照  一時釋

日出でて照し、 一時に釋く(釈=とける)

雪こほり とけてのどかに さしのぼる ひかげに老も 春をしるかな

雪や氷が解けて穏やかに日が昇り出す景色は、老いたこの身にも、春が近いことに気づく。

279

白雲中  常寂寂

白雲の中、 常に寂寂

世のちりを へだつる嶺の しら雲と しづかに身をば まかせてぞすむ

世俗の汚れから隔てられている嶺に湧き立つ白雲に、身をゆだねて住むのは何と心地良いことであろうか。

280

泉聲響  撫伯琴

泉聲響きて、 伯琴を撫す(ぶす=なでる)。

谷水の ながるヽ音を たゞひとり 緒琴にかへて きくぞたのしき

谷間を流れている水音を、琴の音色と見立てて聞くのは、何と楽しいことであろうか。

281

足清風  扇不搖  凉氣通

清風足る。 扇搖(ゆる)がずして、 凉氣通ず。

松風を あふぎにかへて 夏も猶 すゞしく過ぐる みやまぢの奥

涼風を送り込む扇に代えて、松の間を抜ける風そのものが、真夏でさえも涼しく感じさせる奥山は、何と過ごしやすい処であろう。

282

獨自居  不生死

獨自から居して、 生死あらず。

いき死も しらぬ此身は とことはに いくよろず代も ふるとしらなむ

生きているのか死んでいるのかわからないこの身では、いつまでも何世代も生き続けると、きっと知るだろう。

煩悩に取り憑かれて迷いの世界を生きていることに気が付かない者は、いつまで経っても成仏できないことを知って欲しいものだ(武田智孝氏訳)。

283

一朝忽然死  祇得一片地

一朝忽然として死すれば、 祇(た)だ一片の地を得。

水の泡の 消えてのちこそ 思ふらめ 世にあらそひし かひもなき身と

生きている内に、争いを起こした挙句、命を落としてしまって初めて、意味のない人生だったと気づくであろう。

284

書放屏風上  時時看一扁

書して屏風上に放ち、 時時看ること一扁せよ。

注) 「」の正字は行人偏の右ハネが付く。

うへもなき 言葉の花を 朝夕に あふがばおのが つみも消えなむ

至高の言葉の綴りを、朝な夕なに仰ぎ見れば、自分の罪も消えようというものだ。

285

打酒詠詩眠  百年期髣髴

酒を打し詩を詠じて眠り、 百年髣髴(ほうふつ)を期す。

月花に 身をまかせつヽ すぐしなば もヽのよはひも のばへむものを

月や花などの自然に親しみ生きてゆくならば、百年もの間命をながらえるものを。

 

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