細川斉樹
細川 斉樹(ほそかわ なりたつ)は、肥後熊本藩の第9代藩主。 寛政9年(1797年)1月13日、第8代藩主・細川斉茲の子として生まれる 長兄の立之の宇土藩相続や次兄細川斉詮の廃嫡により熊本藩嗣子となり、文化7年(1810年)11月10日、父の隠居により家督を継いで藩主となる。 藩政においては、島田嘉津次を大奉行として登用し、倹約を主とする藩財政再建を目指した。 これにより一時は10万石にも及ぶ蓄えを築くに至ったが、斉樹自身が文政9年(1826年)2月12日に30歳の若さで他界してしまったことから、結局、藩財政再建は失敗に終わった。 後を支藩の宇土藩主であった立政が、養子として継いだ。
寛政9年(1797年)1月13日、第8代藩主・細川斉茲の子として生まれる
長兄の立之の宇土藩相続や次兄細川斉詮の廃嫡により熊本藩嗣子となり、文化7年(1810年)11月10日、父の隠居により家督を継いで藩主となる。
藩政においては、島田嘉津次を大奉行として登用し、倹約を主とする藩財政再建を目指した。
これにより一時は10万石にも及ぶ蓄えを築くに至ったが、斉樹自身が文政9年(1826年)2月12日に30歳の若さで他界してしまったことから、結局、藩財政再建は失敗に終わった。
後を支藩の宇土藩主であった立政が、養子として継いだ。
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