松の落葉 続編

 

  松 の 落 葉

      戀  歌

        寄  月  戀

213

うき人の 俤みゆる 春のつき 於ほろけならぬ もの於もへとや

俤(おもかげ)=面影。  

214

さ志むかひ 於もへは袖に 移りきぬ なれ志その夜の 有明の月

  

        深 夜 待 戀

215

さりともと 頼む鳥かね 鐘の於と 待つよ空志き 物と志る/\

  

        寄  竹  戀

216

試に いひもよらなむ なよ竹の なひき寄るへき 節もこそあれ

なよ竹(弱竹)=細くてしなやかな竹  

        不  逢  戀

217

さりともと 猶なからふる 月日かな あはぬや戀の 命なるらむ

  

218

うつゝには よ志つらくとも うは玉の 夢路はゆるせ 逢坂の關

よ志(縦)=たとえ。うは玉の(烏羽玉の)=「夢」にかかる枕詞。  

219

逢と見志 夢は跡なく 春のよの かひなきもとの 身社つらけれ

  

220

木葉せく 岩間の水よ なからへは つひに逢瀬の 無らま志やは

  

        偽    戀

221

僞の かことゝ志らて 稲舟の このつきのみと なにたのみけむ

  

222

今更に なにをかこたむ 花とのみ 於もひいりに志 峰の志ら雲

  

        名  立  戀

223

年月を 思ひみたれて 紅葉の いまそうれ志き 名にはたちける

紅葉の=もみじばの。  

224

せかれても 末變らすは 思ひ川 なかす浮名は さもあらはあれ

  

        洩  初  念

225

思ふこと もら志初めては なか/\に 忍ふにまさる 歎をそする

初念=初めに心に決めたこと。  

226

さても猶 つらきやいかに 三輪の山 志る志はかりは 洩初ても

  

        寄  雨  戀

227

ぬるゝさへ うれ志からま志 春雨の はるゝ待まの 涙なりせは

  

228

うき人の うきかことゝも 成はてむ 晴またになき 春雨のそら

  

        隔    戀

229

何をさは 於もひはなれて 今更に へたつる中と 人の成けむ

  

230

思ひきや 思はぬとたに いひやらて 心さへにも 隔てつるかな

  

        戀    夢

231

衣/\の 現ならねと あふとみる 夢もゆるさぬ あかつきのかね

  

232

思ひかね ぬるよの夢も あかつきの 鳥の八聲そ 別れなりけり

  

        違  約  戀

233

袖の露 於き處なき ゆふへかな そらたのめなる 風のさわきに

  

234

たのめ志は 今宵と思ふ かね言も きゝ違へ志か いひ違へけむ

  

        雨  中  戀

235

志めやかに かたる雨夜の 品定め 品めつら志き 戀もするかな

  

236

獨ねも ともねも袖の 志をるゝは うき嬉志さの 雨夜なりけり

  

        後    朝

237

限りなく 思ひ添へても いかなれは 於きて別れ志 袖の乾かぬ

  

        戀    涙

238

かり初に なにつゝみけむ 袖の露 流れて終に うきとなるもの

  

        月 前 待 戀

239

いたつらに うはの空なる 眺め志て 待よ更け行く 月のかけ哉

  

240

待す志も 有ぬ今夜を 月夜よ志 夜よ志と人の 來るよ志もかな

  

        聞    戀

241

落瀧つ 音羽のたきの 音にのみ ありときゝつゝ 戀わたれとや

落瀧つ(おちたきつ)=湧き返って流れ落ちる滝。  

242

なにゆゑに 袖にかけゝむ 人つてに みぬ面影を 菊の上のつゆ

上(へ)。  

        疑    戀

243

弱竹の 靡くと見江て 末葉には まこと志からぬ 節もま志れり

弱竹(なよたけ)。靡く(なびく)。  

244

うちとけ志 言の葉なから 頼れす うらふき返す 風もこそあれ

頼れす(たよられず)。  

        乍 臥 無 實 戀

245

さ志かはす 袖の契は 名のみにて 夢もゆるさぬ 志たひもの關

關(せき)=関。  

        寄  淵  戀

246

そこひなき 思ひつもりて せく袖の 涙のすゑや 淵となるらむ

  

        後 朝 切 戀

247

別路の 是やかたみの 袖の露 ひるますくへき いのちならねば

  

248

たちかへり 於な志心に たとるかな 思ひ死すへき 今朝の別路

  

        祈    戀

249

つき日のみ 空く過きて 三輪の山 祈る効志も なき身なりけり

効(かひ)=甲斐(効果)。  

250

人も見よ 祈る志る志は 貴船川 なみに志をるゝ 袖のけ志きを

  

        見  増  戀

251

みるたひに 深くなりゆく 思ひ川 渡りもはてす 身をや沈めむ

  

252

たまさかに 見るに心は 慰さまて 思のみこそ いやまさりけり

たまさかに=思いがけずに。  

        月  前  戀

253

なれ志夜の その於もかけや わか袖の 涙とめきて やとる月影

  

254

うき人の 俤はかり つもりきぬ 月はその夜の かたみならねと

俤(おもかげ)。  

        逢    戀

255

けさはまた 猶長かれと 祈るかな 逢ひ見るまての 命なれとも

  

256

流れては 浮名やたゝむ 嬉志さを つゝみ餘れる 袖のなみたも

  

257

さ志むかひ 思へはうれ志 高瀬川 みなれそめに志 春のよの月

  

        難    忘

258

わすれむと 於もふ心そ うき人を 江もわすられぬ 心なりけり

  

259

忘らるゝ ひまこそなけれ うきにつけ 嬉志きにつけ 戀ふ心は

戀ふ=慕う。  

        恨  絶  戀

260

於もひきや 誰か秋風か 葛かつら 恨み志まゝに 絶江果むとは

葛(くず)。  

261

た江果志 くもの糸筋 中/\に 恨み志かひも なき身なりけり

た江果志=耐え果てし。  

        片    戀

262

あふ事は かた野の鶉 於とになく ひとりや草の 床にわひなむ

鶉(うずら)。  

        忍 經 年 戀

263

年月を 思ひふるやの 志のふ草 於ひ志けれとも かる人もな志

  

264

と志つきを つゝむ涙に くちせぬは 忍ふ夜なれ志 袂なるらむ

袂(たもと)。  

        待 夜 更 戀

265

月まつと 人にはいひ志 僞りの あと志らみゆく あかつきの鐘

志らみゆく=夜が明けて薄明るくなる。  

266

今はとは 思ひ絶江ても くたかけの またきそら音と 疑れつゝ

くたかけ=鶏。  

        變  約  戀

267

世につれて 人の心は 花染の うつるならひと 於もひな志ても

  

        祈  神  戀

268

めくりあふ 月日もあれな み志め縄 思ふ心を かけていのれは

み志め縄=御注連縄。  

        ちかくてあはす

269

みちのくの ちかの䀋かま 焦れても へたつ笆の 島のなもうき

䀋=塩の俗字。笆(まがき)=竹で作った垣。  

        口 か た む

270

うつゝとも 分ぬあふせを 春の夜の 夢にな志ても 人に語るな

  

271

もらすなよ もらさ志人に 小夜枕 まくらのほかは 志らぬ契を

  

  松 の 落 葉

      雑  歌

        磯   浪

272

のとかなる 春の潮せの 夕なきは 磯うつ浪も かすみなりけり

  

273

梓弓 春のありその ゆふ風に うちけふる浪の すゑもかすめり

梓弓(あずさゆみ)=梓の木で作った弓。ありそ=荒磯。  

        旅  泊  雨

274

浮寝する 夜半の春雨 ふるさとに かへる夢さへ 結ひかねつゝ

浮寝(うきね)=かりそめの添い寝。  

275

ふるさとに かへる夢さへ のとかなる 雨の浮寝の 春のとま舟

浮寝(うきね)=舟の中で寝ること。とま舟=苫で屋根を葺いた舟。  

        山  家  隣

276

山ふかみ いつ志かなれ志 友猿の すみ家のみこそ 隣なりけり

  

277

これを志も 隣と於もへは 雲かゝる をこ志の家も 力なりけり

をこ志=興し。  

278

自から なるれはなるゝ すまひかな ふ志猪の床を 隣には志て

ふ志猪=臥猪。  

        磯    松

279

みち潮の たひ/\ことに そめま志て 磯邊の松そ ふか緑なる

  

        谷  樵  夫

280

雲深き 谷の柴人 志は志誰か 世をのかれたる ゆくへなるらむ

樵夫(きこり)。柴人(しばびと)=柴を刈る人。  

281

こゝに志も 世の憂ことや 繁からむ なけきこりつむ 谷の柴人

  

        竹 徑 通 幽 處

282

尋ねこ志 きのふの軒端 けふもまた なほ分け迷ふ 竹の細道

  

283

ゆきめくり 竹のほそ道 分けわひぬ 文よむ聲は 遠からねとも

  

        朝  眺  望

284

朝からす 枝をはなるゝ 聲の中に あらはれ初る 葉やま志け山

  

285

朝なきの 千志ま八十島 はる/\と なかめ盡せぬ 海つらの宿

盡せぬ=尽せぬ。海つら(うみづら)=海のほとり。  

        深  山  雨

286

流れ出る 水の響きの まされるは み山のくもや 雨となりけむ

  

287

あらひ衣 はやとり入れよ 足引の 深山に雨の あ志みゆるなり

衣(きぬ)=着物。  

        寄  酒  祝   神崎伊豆丸七十賀

288

いつまても 老せぬ色や 浮ふらむ 身は七十の さかつきのかけ

七十(ななそぢ)。  

289

笹の葉の みとりを老の 友と志て うへこそ人は 千代の色なれ

  

        蜂

290

似よとのみ 縋る軒端の 祈事は わかはちと志も 思ひ知らすや

縋(すがる)。祈事(ねぎごと)。  

        琴

291

於も白き 調や今も あり志世の 弓弦つかね志 かみのふること

弓弦(ゆづる)。つかね志=束ねし。  

        狐

292

厚衾 なほさゆる夜は 志も狐 まくらにちかく わひてなくなり

衾(ふすま)=掛け布団。 さゆる=冴ゆる。  

        望  遠  帆

293

眞帆ひきて ゆくもかへるも 霞より かすみを傳ふ 春のうな原

眞帆(まほ)=追い風を全面に受けて十分張った帆。  

        松 契 遐 年

294

移志うゝる 軒端の松も 色かへぬ ちとせの春を 契るこゝろに

遐(か)=とおい。  

295

ゆくすゑの 千年八千年 契らま志 千年のまつを 友とな志つゝ

八千年(やちとせ)。 

        春    祝   林田昌作七十賀

296

七十の けふを千年の は志めにて なほすゑとほき 君かよの春

  

        寄 花 懐 舊

297

春雨は はれてもはれぬ たもとかな ちりに志花の 昔なからに

舊=旧。  

        新 宅 を 賀 志 て

298

動きなき 千代をは志めて 新志く 志きかためたる 宿の石すゑ

石すゑ=礎(いしずえ、土台石)。  

        六  十  賀

299

みちとせの 實のりはやす志 百年に みとせのはるそ 花盛なり

  

300

ゆく末は またはるかなり 千年山 六十を千代の 初めには志て

六十(むそじ)。  

        玉名郡醫師田尻宗甫か二神を祭れるに

301

於ほなむち 少彦名の さき御魂 さきさかふへき いへそこの家

  

        楠    公

302

いきかはり 志にかはりつゝ 君の仇 報ふこゝろを 心には志て

  

        李    廣

303

石にたつ 矢志りをゝ志き 手振には 虎てふ神も 跡た江志とか

  

        濱  邊  松

304

波懸る 濱邊の松の 葉末より まつあらはれて ゆく帆かけかな

  

        嶺    松

305

さと人の 教へ志まゝに たとりきぬ 高根の松を 枝折には志て

枝折=木の枝などを切って道しるべとすること。  

306

こ江かねて 立やすらへは 松に吹く 風の音すこき 峯のゆふ風

  

        社    頭

307

人草は みな此の神の かけたのむ めくみも志けき 三輪の神杉

  

        述    懐

308

よの中は 成ること難志 樫のみの 一つ二つの 於もひなれとも

  

        都にのほりけるとき

309

よもすから ねられぬ淀の 上り舟 波の志たゆく 心地のみ志て

  

        天 草 に て

310

碇あくる 音にうきねの 夢さめて かへる追手の 風そうれ志き

碇(てい)=錨(いかり)。 追て(おうて)=順風。  

311

に志の海 果なき雲の そなたより 何處の浪の よするなるらむ

何處(いずこ)。  

        寄 劍 述 懐

312

つゝらもて 巻き志昔は 焼太刀の 鋭をこゝろと 人もな志ゝを

つゝら=葛の蔓。 もて(以)=用いて。  

        人の東京に行くを送りて

313

實ならぬか ゝならす於ほき 東路の 花に心を ゆるさすもかな

ゆるさすもかな=許さないということがあったらいいなあ。  

        釋    教

314

鷲の山 嶺のあら志に 雲はれて 人のこゝろの つきそさやけれ

  

        孔    明

315

みを捨て 獨り調へ志 僞りに あたかへ志けむ こともあり志か

  

        日向國生目神社寄月祝

316

今も猶 その影きよき 神かきを くまなくてらす あきのよの月

神かき(かみがき)=神社の周囲の垣。  

317

くもりなき 神の心を こゝろにて すむかけきよき 月のいろ哉

  

        暮  山  雨

318

ふく風は 霞にこめて 音もな志 ゆふへさひ志き はるさめの山

  

319

晩鐘は 花にかすみて はるさめの 於と靜なる ゆふくれのやま

  

        寄 花 懐 舊

320

なれてみ志 むか志の春の 跡とへは 花も露そふ 心地こそすれ

  

        海    路

321

春のうみ 浪たゝぬ日は 大ふねの ゆたのたゆたの 物思もな志

  

322

眞帆ひきて 走る船路は めのまへの 千島八十島 跡にな志つゝ

  

        竹むら風すゝ志

323

夕月の かけもさはらぬ 若たけの つゆふきみたす 風のすゝ志さ

  

        川面のほたる

324

さきになり あとに後れて 川つらを こゝろ/\に とふ螢かな

こゝろ/\に(こころごころに)=それぞれめいめいに。  

        うき寐のなみ

325

なみの音を 正面にうけて 懸船 斯る夜半をや 浮寝といふらむ

正面(まとも)。斯る(かくる)=このような。浮寝=寐ても心が安らかでない。  

        あからさまなる

326

行かひの たゝ假初の 一夜にも なほ千代かけて 契り於かま志

  

        蛙のうたの中にて

327

みつもなく 櫻ちり志く 山の井の はなにうかれて 蛙なくなり

  

        雪のうたの中にて

328

吹にふく 嵐に今朝は かきよせて なさぬになれぬ 雪の志ら山

  

329

ほの/\と 白み行くよの それさへも 猶待遠き 今朝の雪かな

  

        羈旅の歌の中にて

330

みにそふは すゝり墨筆 たひのうさ 忘るゝくさの 煙のみなり

羈旅の歌(きりょのうた)=旅情を詠んだ歌。  

        うくひすを待つ

331

梅も咲き はるもちかきに 鶯の はつ音をのみも 猶を志むらむ

  

        霞 は 春 の 衣

332

今朝見れは 赤肌山の それさへも かすみははるの 衣なりけり

  

        夜  春  雨

333

春の夜は いねよかりけり 降雨の ゝきの雫も 志めやかに志て

いね(寝ね)=眠りにつくこと。  

        春のうたの中にて

334

於な志名の 櫻も木々に 色かへて 春をあらそふ 庭そめてたき

  

335

たちならふ 提の松も 色そへて 千とせを庭の ものとな志ける

  

336

春の色 いたり盡せり 木のもとに ものいふ花も たち交りつゝ

  

337

せき入れて たゝへ志庭の 眞清水に 映れる花の 色のゝとけさ

せき=堰(取水のための堰)。  

338

乙女子か やつれ志髪も 於も志ろ志 かさす櫻の 花を折るとて

やつれ(窶れ)志=見栄えのしないようになる。  

339

かきりなき 霞を春の かきりにて ぬれてそ花の 色まさりける

  

340

於も志ろき 風流かたりは 春さめの 春を志めたる 花の下いほ

風流(ふりゅう)。  

341

立ぬれて 志ほる袂も はるさめの 志つくもかをる 花さかり哉

  

342

ぬるゝさへ そこはかとなき 春雨の 花の志つくに 馨る袖かな

  

343

たちぬれて 袖の匂ひの うれ志きは 花よりくるゝ 春雨のつゆ

  

        佐賀に遊ひけるとき

344

ものゝふの 住志昔の あとゝへは 水か江遠く なくほとゝきす

ものゝふ=武士。 水か江=佐賀市水ヶ江。  

        折 に ふ れ て

345

よの中は みな見盡志て 味氣なき 味こそ志るれ 味氣なき世は

  

346

たち歸り 叉も此の世に なからへむ 和歌の浦わの 流くみても

浦わ(浦廻)=曲がり廻る。  

347

くみかはす 酒はみやひも へたてなき 友のまとゐの 面白き哉

  

348

都人 まれにわたり志 谷川の は志のまる木も くちやはてなむ

  

349

日に添て 弱りもするか 冬の虫の いきてかひなき 吾身也せは

  

        祝    言

350

三千とせの 實はやす志 百年に 三とせの春そ はなさかりなる

實(むざね)=そのもの。実体。正体。

  

松の落葉の於くがき

    世のなかは なにかつねなる あすかがわ

             きのふのふちそ けふは瀬となる

と、古の人のよみ志如く、虛蟬の世の、かはりゆくさまは、あながちに、

むか志のみかは、我々の今も於どろくまでに、かはりはてき。 今は昔志、

徳川の水のすみ志頃には、花は櫻木、人は武士とほめそやせ志武士。

かのふさ/\志たる総髪を、志ら雪の元結もてくゝり黒の五つ紋をつけたる

木綿の衣をきて、小倉の袴をはき、腰に朱鞘の大小を横へ、長閑なる春風に、

双の袖をひるがへ志、若草もゆる、野邊の縄手をあるき、櫻さく山かげに休みて

そのいさま志き姿を、朝日に匂ふ花にくらべ志、壮年の武士も、今となりては、

その俤(おもかげ)だにも、とどめずなりぬ。

かく歎く、吾々の家も、むか志は、武士のは志に加はり志が、今より五十年もすぎて、

吾々の子孫などの世にもならば、アゝ吾々江の先祖は、いづくの馬の骨にてあり

志かと、あや志むものも、あらんかと思へば、まことに、口を志の極みとやいはむ。

されば、今吾がなき父君の和歌を出版するにつけ、あらかた我が家の昔志と、

なき父君の和歌の源は、いづくより志て流れいで志かを、吾々の子孫らに、

示さまく思ふなり。

さて、我が家は、は志め、赤松十族の一に志て、昔志は、播磨の國にて、

志方の城のある志なり志も、羽柴秀吉の中國を攻るに及び、吾が高祖なり志、

右衛門の尉繁廣君は、數度の戦に刀も折れ、矢も盡き、高御位山の城を枕に志て、

空志く戦場の露と消江うせたまひぬ。

城の落ち志時に、乳母は、繁廣君の遺孤を、於のが懐に入れて、長刀杖づき、

丹羽をさ志て、落ちゆき志が、乳母の俗縁なる、或山寺の僧にたよりぬ。

世を忍ぶ身は、涙ながら、春の花にかな志み、秋の月にかこち、いたづらに、

憂き年月をすご志けるに、いつ志か遺孤も成長志て、はや十一の春を迎へぬ。

ある夜の事とかよ、十人あまりの豪盗どもは、乳母のたより志寺に亂れ入り、

寶物をいだせよと、於ど志けるに、十一になり志少年は、乳母が携へ來り志長刀を

揮ひ、またゝくまに、強盗どもを薙きたて志かば、殘り志豪盗は、少年の勇氣に

於それけむ、雲や霞とにげうせける。

このいさま志き少年の噂さは、いつとなく、よもに廣がりて、長岡忠興公に

よびいだされ、余が家臣になりてはいかにやと、のたひ(のたまひ)ければ、

このけなげなる少年は、は志めて、志方六助と名のりて、細川家に仕へぬ。

我が家は、志方の城のある志となり志ころは、赤松氏とゝなへ志も、細川家に

仕るに於よび、憚るところありて、舊城のあり志地名をとりて、志方氏に代へ、

乳母が携へ來り志長刀は、これより傳家の寶となり志が、惜むらくば、西郷の

亂によりて、兵火にかゝり、今はその俤をとゞめ志のみ。其後、忠興公の子、

忠利公の肥後を領せらるゝに及び、六助君もまた随ひて、肥後に向はれ、家祿は、

僅かに参百石なり志も、丹波より小倉を經て、肥後に随行せ志かば、細川家にても、

最も久志き舊臣と志て、特に優遇せられぬ、されば、此れより志て、六助君は、

志方家の祖となりぬ、志か志て、六助君より十三代の孫は、即ち吾々の父君なり。

吾々がなき父君は、名を之教といひ、半兵衛と稱せられ志が、性多能に志て、

吏才に富み、和歌及び書畫を好まれ、兼ねて老荘の學にも通じたまひぬ。

初め細川家は、藤孝公の古今傳により、家臣の和歌を詠するに、競ふて二條流を

學ばざるものなかりき。

弘化の頃に及び、長瀬幸室大人はじめて本居宣長の余流を汲み、歌も古體の種子を、

熊本の地にまかれ志が、幸室大人の世までは、まだ盛んならざり志なり。

幸室大人の弟子に、中島廣足大人あり、橿(樫)園と號志ぬ、此の大人は、

再び本居大平に随ひ、國學の蘊奥(うんおう)をきはめられ志のみか、殊に敷島の道

にも、あや志くたへなりければ、志の簾、または、たづか杖などの歌集、世に

出で志より、其の名は、於志照る難波の里より菅の根の長崎の港に廣がりて、

世の人々は、白縫の空に、廣足大人あり志ことを知らざるものなりきにいたりぬ。

此の大人は、想々みな錦の麗質と、句々みな玉の綺才を抱かれたれば、熊本の

空に、古體の暖かなる風吹きて、美は志の色と、優志の薫りとに富みたる花を、

歌の林に綻ばされ志かば、満城風流の士は、雲の如くに蒸志、霧の如くに聚りて、

廣足大人の門に、向はざものなかりき。

此の頃吾がなき父君は、壯年に志て、風流の心にとまれ志かば、たちまち、

廣足大人の門に入りたまひ、月にあら志にひたすら、敷島の道をぞみがゝれける。

吾々の叔父と志て、殊に廣足大人にめでられ志廣川ぬ志の言に、松門ぬ志は、

いうに大人の歌の餘薫に化せらるゝまでに、すゝまれ志と。

吾がなき父君は、吏才にとまれ志かば、四十の頃より、いろ/\の役をつとめられて、

いたく風流の道に遠ざかれ志かば、和歌の數も、多からざれど、ひとひら、ふたひらの

花にても、其の薫りは、た志かにみとむるに足るべ志と思ふなり。

吾が父君の和歌を、短冊にかかれ志ときは、いつも松門とかゝれたりき、

これには於か志き話あれど、くだ/\志ければ、其のあらま志をかいつけむ。

いつの頃にやありけむ、呉竹の葉末より咲きくる、凉しき風の北の窓にかよふて、

手枕のうたゝね、いとこゝちよかり志時。

身は山川の水の、さら/\と音するかたに、あるきつゝ、一すぢの細道は、

苔綠りに、沙白く志て、どことなく、浮世のほかと思ひつゝ、はるかに、

あなたをながむれば、五株ほどの、松の林のうちに、柴の戸をかまへ志、

茅の庵ぞ見江たりける。

こはいかなる、山人のすみ家にやと、いそぎては志り志にまもなく、柴の戸に

つきて、於となふ聲の、まだ志づまらぬまに、白髪をいたゞき志翁は、ゑみを

ふくみつゝ、はやく來れよ、こゝは浮世のほかの仙家に志て、ながきたるを待つこと

久志と、案内さるゝまゝに、奥の室にはいれば、翁は、さま/\の事を話され志

うちに、こは松花餅といひて、仙家の菓子なれば、試みにたべてみよといはれ

志かば、よろこびてたべ志に、其味甘く志て、かんば志きこと、いはんかたなかりき。

其のうちに、軒に志だれ志松の梢にゐる、鶴のなく聲に驚きて、忽ちさめ志は、

凉志き枕の夢なれども、かんば志き薫りは、さめても、なほ口に殘り志にぞ、

こは、まことにくす志き夢なればと、それより松門と名のりて、歌の草稿は、

松の落葉と名け志よとは、これなむ吾がなき父君の、雨夜の燈の下にて、

なされ志昔志かたりなりける。

吾がなき父君は、いろ/\の役をつとめられ志うちにも、浮世の塵を、遁れまほ志と、

つね/\語りたもひ志が、よはひ六十あまり三に志て、明治十八年は、かの

圓位(えんい=西行の法名)のひ志りの。

   願くは 花のもとにて われ死なむ

        そのきさらきの もちつきのころ

と、うたはれ志ごとく、三月十八日の、午後一時、はる風かをる、花のもとにて、

夢の中なる、松かげの茅の庵にと、仙遊をな志たまひぬ。

於もへば、昨日けふかと、すぐせ志に、はや二十五年前のむか志となり志も、

吾々のはらから三人は、いま、なほ、知らぬ旅路に、さまよひつゝ、なにの

いさを志も、たてざり志かば、草葉の蔭より、みたまひ志吾がなき父君は、

さぞやさぞ腑がいなきものどもよと、うらみたまひ志ならむ。

このことを、花のあ志たに於もひ、月のゆふべに於もひ、また、筑紫の故郷の

空をながめ、かさねて、香花院の於くつぎのほとりには、幾とせの雨露に、

綠の苔の、むせ志ならむと於もへば、たゞ此のまゝに志て、やむべきか。

されば、せめてはの思ひでに、吾がなき父君の形見なり志松の落葉を出版志て、

吾々の子孫らに、吾がなき父君の和歌は、これぞよと、いふべき記念をとゞめ於かば、

吾がなき父君の御たまもいかにうれ志く思ひたまふならむと、かき行く筆を

さ志於くにも、いかで、昔ゆか志の涙の、いでざらめやは。

   如月のなかの八日、さ夜の嵐にちらされ志、さくらの花の、一ひらニひら、

ふみ讀むとも志の、あたりに、飛びかふを、ながめつゝ、兒の秋水、

か志こみて、再び記す。

   完

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