元禄10年(1697年)、宗家熊本藩から5000石を分与されるが、第3代藩主・綱利の嫡子だった吉利が早世したため、宗家の養嗣子となる。
正徳2年(1712年)に綱利から家督を譲られる(綱利は2年後に死去する)。
治世の大半で、熊本藩には旱魃や飢饉、虫害、イナゴの大発生、洪水、疫病、台風と天災が立て続きに起こり、綱利時代の浪費財政も影響して、その治世は多難を極めた。
特に享保7年(1722年)からは連年のように天災が起こり、イナゴが大発生した享保17年(1732年)には、凶作で餓死者が6000人近くも出たと言われている。
しかも同年、熊本藩は幕命によって利根川普請で15万両の支出負担を担い、藩財政は破綻寸前となった。
このように天災が起こり、熊本藩が混乱する中での享保17年(1732年)57歳で死去した。跡を四男・宗孝が継いだ。