宝暦8年(1758年)4月25日、第6代藩主・細川重賢の次男として生まれる。天明5年(1785年)、父の死去により家督を継いだ。
父の「宝暦の改革」を引き継いだ藩政を行なったが、翌天明6年(1786年)から天災が起こって、米価高騰により藩内で打ちこわしが起こるなどの苦境に立たされる。
しかもそのような中で、天明7年(1787年)9月16日に死去した。享年30。
実子は早世していたため、支藩の宇土藩主・細川立礼(斉茲)が養子に入り跡を継いだ。これにより、細川玉(ガラシャ)の血統は細川本家では絶えることとなった。