江戸上屋敷

江戸時代、江戸に常住する武家には、将軍家と直接主従関係を結ぶ旗本・御家人と、大名およびその家臣がいた。

このうち大名、旗本、御家人には江戸幕府から屋敷用地が与えられ、特に大名の屋敷は江戸藩邸と呼ばれた。

通常、大名には、江戸城周辺から江戸郊外にかけて、複数の屋敷用地が与えられた。

大名の屋敷には当該屋敷の用途と江戸城からの距離により、上屋敷(かみやしき)、中屋敷(なかやしき)、下屋敷(しもやしき)などがあり、これらを総称して江戸藩邸と呼ぶ。

すべての大名が上中下の屋敷を有したわけではなく、大名の規模によっては、中屋敷を持たない家や、上中屋敷の他に複数の下屋敷を有する家など様々であった。

細川家の上屋敷は、今の桜田門外龍ノ口にあった。慶長8年(1603)屋敷地を拝領した。

手狭であったため、白金の中屋敷がその代用として、しばしば利用されている。

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