篤姫

篤姫(あつひめ)細川斎樹の末娘。生母が亡くなったのであろうか、斎樹の室・紀姫(一橋大納言治済女・蓮性院)の養女とし、後宇土支藩細川立政との婚約が調ったが文政7年(1824年)江戸にて死去、14歳。

篤姫は文化八年の生まれである。文政五年この篤姫が幕府の許可を得て、齊樹の実兄・宇土細川藩主立之の嫡男・立政(宗家に入り齊護)に嫁いでいる。しかしながら文政七年篤姫は僅か十四歳で亡くなった。

宇土細川家の墓所ではなく、宗家の墓所・妙解院に葬られた。 齊樹が亡くなった直後、江戸藩邸では蓮性院の実家一橋家から養子を迎えるという動きがあった。

一方地元熊本では、細川家の血脈が途絶えることを憂慮し、宇土支藩の立政を迎えるべく奔走している。 連性院からすれば娘が亡くなったとはいえ婿殿である。喜ばしい結果で収まったというべきであろう。  

ところで齊樹の跡目を継いだ文政九年斎護は23歳であり、前の年に生まれた雅之進という男子があった。この男子は齊護の生母栄昌院によって育てられ、本家に入るのは天保五年のことである。

生母上村氏(久)については良くわからない。そういう状況で齊護は本家を相続し、文政十年浅野安藝守斎賢女益子を正室として迎えるのである。(正確には継室とすべきであろうが・・・)益姫は三人の子をなすが全て女子であり、雅之進を本家に迎え入れたものと考えられる。

側室比企氏に男子(韶邦)が生まれるのはその翌年であり、雅之助(護前)が若くしてなくなったために、韶邦が跡目を継ぐということになる。

(以上眞藤國雄氏の津々堂のたわごと日録より転載)

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